【追悼】陳蓮花阿媽

12月の「アマ・ミュージアム」開館式のときにはお元気そうに挨拶されていました。元気そうに見えただけなのかもしれません。それだけに哀しさが募って仕方ありません。

あなたの生きた人生を、私たちは忘れません。

台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会からの訃報を転載します。

みなさま
残念な、悲しいお知らせをしなければなりません。

台湾の陳蓮花さんが今夜2017年4月20日、午後8時頃お亡くなりになりました。

昨年の12月10日の「阿媽の家」オープンには元気な姿を私たちに見せてくれたので、そのとき、開館式に参加してくださったみなさまから声をかけてくれたかたもいたと思い、お知らせいたします。
開館式以後、台湾の正月が終わった頃から体調をくずし、3度ほど手術をしました。

4月13日、ICUに入っている陳蓮花さんにお会いしてきましたが、チューブが口に入っており、呼びかけるとうっすら目をあき、かすかにうなずく様子がみられましたが、言葉を交 わすなどはほど遠い状態でした。

陳蓮花さんは、1924年生まれ、フイリピンで看護助手を募集しているといわれ、セブ島で「慰安婦」被害を受けました。

米軍の攻撃を受けたりしながらセブ島に到着。台湾人兵士に「どうしてきたのか」と聞かれ、「看護婦の仕事をしに」といったら「看護婦じゃない、慰安婦だ」と言われましたが、「慰安婦」の仕事とは何かわからなかったといいます。
やがて米軍の艦砲射撃がひどくなり、山中へ逃げ込んだりしますがこの逃避行の中で台湾から一緒に来て仲良くしていた女性が亡くなり、彼女の爪や髪を切って持ち帰りました。帰国してからも彼女の身内を見つけられなかったため、その後も蓮花さんはその人を弔い続けたといいます。

日本降伏後、米軍の捕虜収容所で、最初にあった台湾人兵士が蓮花さんを探しに来て奇跡的に再会し、やがて台湾に帰ってから2人は結婚します。
帰国してからも経済的には苦しく、洋裁などで生計をたてました(蓮花さんは、ワークショップに参加するときなど自分で縫ったという洋服を着ていつもおしゃれでした)。

蓮花さんは、阿媽たちのワークショップ等にはいつも参加していましたが、公に名前や顔を出すのはずっと後のことでした。
なぜ、顔や名前を出すことにしたの?と聞いたことがあります。蓮花さんは「もう年をとったからね。いいんだよ」といいました。

蓮花さんが初めて大勢の人を前にした証言は、日本の京都での証言集会の時でした。
ときおり、日本語でカンポウシャゲキと表現し、そのすさまじさを「パラパラパラ」と身振り手振りで語りました。そして泣きました。なるべく泣かないように毅然としていた蓮花さんが泣きました。


気強く、信仰深く生きてきた蓮花さんの旅立ちの途がどうぞ平安でありますように・・・。
 
蓮花さん、私たちはあなたを忘れません。
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「慰安婦」問題学習会  いま、解決に何が必要か

=学習会のご案内=
「慰安婦」問題学習会
 いま、解決に何が必要か

日時:2017年4月15日(土) 14時-16時30分
場所:とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ セミナー室2AB
    (阪急宝塚線豊中駅下車すぐ 阪急梅田駅より急行11分)
講師:小林久公さん
    (日本軍「慰安婦」問題解決全国行動/強制動員真相究明ネットワーク)
主催:「慰安婦」問題の解決を求める北摂ネットワーク・豊中
   日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
参加費:500円
※会場の表示は「北摂ネット・豊中」となっています。




 1990年代以降、被害者の名のり出を受けて「慰安婦」問題の解決を求める声は被害国だけでなく、国際社会にも広がりました。
27年間に及ぶ行動と努力が積み重ねられてきましたが、今だ解決を見ず、一昨年12月の「日韓合意」以降、むしろ解決への道は遠ざかっているようにさえ見えます。
 私たちは、2012年に各国被害者、支援者らとともに「日本政府への提言」をまとめ、多くの資料とともに日本政府に提出しました。
提言の柱として、「慰安婦」問題の解決には、曖昧さのない事実認定と、被害回復措置が必要との立場を明らかにしてきました。
 しかし、安倍政権は一貫して「軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接示す文書はなかった」、したがって、強制連行や性奴隷もなかったと主張してきました。
 「河野談話」以降、様々な資料が発見され、また、外務省や防衛相、法務省など各省庁に関連資料が多数あるにもかかわらず、一切の資料収集を拒否した状態にあります。
 まさに事実の隠ぺいが公然と行われています。
 小林さんはこの間、とりわけそうした資料の収集に力を注いできました。2005年には『日本軍「慰安婦」関係資料21選』を中心になってまとめたほか、以降も各省庁に対して情報公開を求めて粘り強い交渉を重ねる中で、日本軍が組織的・体系的に実施したことを示す多くの資料を発見、収集してきました。
 今回、そうした実践と研究を踏まえて、「慰安婦」問題のあるべき解決についてお話を聴きます。
 北海道から来られます。貴重な機会です。ぜひご参加ください。

第128回大阪駅前水曜集会報告

李順徳ハルモニが亡くなられた翌日、私たちは悲しい気持ちを胸に抱えて街頭に立ちました。4月5日の大阪水曜行動を報告します。

関西ネットから、李順徳ハルモニの苦しかった被害体験や、名乗り出られて関釜裁判を闘い抜かれたことを紹介しました。これで生きておられる被害者は39人になってしまいましたが、多くの人が悲しみを共にしています。ここ、大阪でも。

同じ昨日、長峰駐韓大使が帰任し、新聞は大きく報じました。しかし李順徳ハルモニの死を報じることはありません。10億円だして歴史から消し去ることを使命とするような日本政府や、それに同調するマスコミ。本当に許せません。

また先週、東京で「慰安婦」博物館会議が開催されたことも紹介しました。歴史を継承するのは私たちが実践します!

共謀罪あかんやろオール大阪からのアピール。共謀罪の本質は「私たちをどう管理するか」ということ。政府は一般の人は関係ないというが、一般の人を管理したのが治安維持法。絶対に許してはならない。

森友問題を考える会からもアピールがありました。森友問題は一体どこまで解明されたのか?疑惑は深まるばかり。政府は幕引きを図りたがっているが、それを許してはならない。

森友問題の本質は、安倍夫妻と松井知事。アベ政治と維新政治を終わらせよう!

栃木県からこられた男性が、祖父から聞いた話を紹介してくださいました。祖父はチチハルヘ戦争に行き、慰安所を利用していました。そこには15歳の少女もいたそうです。そして祖父も自分が悪いとは思っていなかった。それが侵略戦争というものだから。

被害者の証言が事実であると、祖父は語ってくれました。

この問題は被害者も加害者も生きている。きちんとした謝罪と賠償を行うことが日本人の責務です!

世間では桜もチラホラ咲き始めましたが、被害者には苦難の歴史がまだまだ続いています。そして被害者は次々と亡くなられています。

最後に関西ネットからメンバーから、李順徳ハルモニの思い出を涙を流しながら語りました。

ハルモニに謝罪を届けられなかった。

泣いた分、明日も闘うことを決意し、70人の参加者とともにシュプレヒコールをあげました。

次回大阪駅前水曜集会は5月3日19時から。憲法記念日ですが、安倍政権は憲法を守る気は皆無です。それは被害者が望んだ世界でもありません。

憲法記念日にヨドバシカメラ前にご参集いただき、足元から平和と人権を訴えましょう!

이순덕 할머니 사랑함니다!

【追悼】李順徳ハルモニ

みなさま

大変悲しいおしらせをしなければなりません。


4月4日午前7時30分、日本軍「慰安婦」被害者の中で最も高齢だった李順徳(イ・スンドク)ハルモニが永眠されました。
享年100歳でした。

1918年に全羅北道金堤(キムジェ)で生まれたハルモニは、1934年17歳の時に就労詐欺によって慰安所に連れていかれて以降、満州や上海を転々としました。
日本軍による暴力で頭や胸、臀部などを靴や足で蹴られたり、刀による傷を受け、後遺症で目がよく見えないなど、体と心に負った深い傷は生涯ハルモニを苦しめました。
1945年、解放後に韓国に帰ってきましたが、両親は病で亡くなっており、以降、家政婦などをしながら生きてきました。
1990年以降、「慰安婦」被害者の名のり出によって「慰安婦」問題が社会に提起されると、自らも太平洋戦争犠牲者遺族会を通じて申告、1998年には関釜裁判の原告として日本政府を相手に訴訟を起こし、法廷で証言するなど、解決のために行動されました。

李順徳ハルモニのイメージフラワーは寒い冬にも枯れない椿で、「椿ハルモニ」とも呼ばれました。
ハルモニは麻浦区にある「慰安婦」被害者の共同施設である「平和のウリチプ」で暮らしていましたが、2014年6月からは高齢のために近くの療養病院に入院されていました。
ソウル西大門区(ソデムング)の延世大学セブランス病院葬儀場に置かれた焼香場には市民や学生、与野党議員、ソウル市長など多くの人々が訪れ、お見送りをしました。

6日午前に出棺予定です。

韓国の生存被害者は38名となりました。

4月5日の大阪駅前水曜集会にご参加ください

3月10日、朴槿恵大統領が弾劾、罷免されました。崔順実ゲート事件、セウォル号事件と並び、日韓合意が今日に至る韓国市民の怒りに火をつけたことは間違いありません。まさに韓国の民主主義の勝利です。

しかしこの局面に至っても日本政府は韓国政府に対して「政権が変わっても日韓合意を履行すべき」と主張しています。被害者も韓国社会も受け入れを拒否しているにも関わらず、罷免された政権と交わされたなんの法的根拠もない口約束の履行をあとの政権にまで迫るのは、恥知らずとしか言いようがありません。

そしてそれに同調する日本社会。

教育勅語を諳んじ、安倍首相を礼賛する森友学園が問題になっていますが、森友学園とは「強制連行はなかった」「『慰安婦』は売春婦」などとセカンドレイプを繰りひろげる日本会議が作ろうとしたら学校です。もちろん安倍の意向も受けて。

「天皇陛下を奉る」教育と、「『慰安婦』を否定する」教育は同義です。日本軍「慰安婦」問題の責任は、旧日本軍と日本政府、そして日本軍を統帥する天皇にあるのは明らかであり、日本軍の戦争責任を無罪化するのは天皇制護持のためだからです。そして日本を再び侵略戦争への道へと突き進ませるためです。

今こそチャンスです。私たち市民の力で安倍政権を追い詰めましょう。日韓合意を破棄させ、私たちの誠意を日本軍「慰安婦」被害者に示しましょう。

日韓合意の片方の主犯・朴槿恵を、韓国社会は追い落としました。次は私たちがもう一人の主犯・ファシスト安倍晋三を追い落とす番です!

みなさん、4月5日水曜日、大阪梅田ヨドバシカメラ前に結集してください。

森川万智子『文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私』

 語り・文玉珠/構成と解説・森川万智子『文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私』(梨の木舎)を再読しました。現在は増補版が出版されていますが、未入手のため、旧版でのご紹介です。

 慰安所での経験が長い被害者の語りほど、怒りが心の奥底に沈殿し表に出てこないと感じることがよくあります。抑圧された生活が長期に及べば、そこでの生活に順応することでしか生きていくことができず、怒りや悔しさを覆い隠し記憶の奥に追いやらねば心が壊れてしまうからです。

 この本の中にある文玉珠(ムンオクチュ)さんの証言は、泣き叫び苦しい心の中を吐露し、強く怒りをぶちまけることはしません。それを森川さんはあとがきで「自分が日本人だからだろう」と述べていますが、そればかりではないだろうと思います。被害体験が深ければ深いほど、被害回復もまた容易ではありません。

 文玉珠さんは二度、慰安所生活を体験しています。一度目は1940年、旧満州のソ連との国境に近い東安省で1年ほど。その後一度は生まれ故郷に帰ったものの、二度目にビルマへ。それが1942年から終戦まで。

 東安省での慰安所での体験は、ビルマ戦線ほどには詳細に語られてはいません。文玉珠さんご本人があまり語らなかったそこでの被害体験の記述を一部紹介します。

「毎日泣いた。泣いても泣いても男はきた。毎日二十人から三十人ほどの日本人の兵隊がきた。客は日本の兵隊や憲兵たちだけだった。」

 文玉珠さんはとても賢く、おそらくは少々やんちゃで、そしてとても生きる力に富んでいたのだと推察します。幼少期、キーセンになるための学校では何度か聴くだけで1曲2時間もかかるパンソリを歌えるようになるし、大牟田の料理屋では下働きをしながら歌を歌って酔客を喜ばせていたと語っています。東安省の慰安所でも李香蘭を歌って軍人を喜ばせています。

 そんな順応性を見せても、彼女は自分の心を冷静に見るもう一人の自分がいたようでした。

「それに、そのときわたしは、これ以上慰安婦を続けてはいけない、とも考えていた。心がおそろしいように荒んでいくのが自分でもわかっていた。」

 本当に、とても賢い女性なのだなと思います。

 しかし一度はうまく東安省から逃げ帰ったものの、ふたたび慰安所へと戻ることになってしまいます。「日本軍の食堂に働きに行こうよ、金もうけができるよ」と誘われて。ビルマについた時、他の女性たちは騙されたと泣き叫んだが、文玉珠さんは東安省での経験があるから、他の女性たちとは受け止め方が違ったようです。少し長いけれど、とても心に止まった一文を紹介します。

「将校たちの歓迎会や送別会などのパーティにお呼びがかかるようになってきた。わたしは金になるのだからと自分を納得させて、パーティにも行ったし、とにかく一生懸命に働いた。もちろん、わたしは珍しい例で、慰安婦がみんなわたしたちのようだったわけではない。

 日本語が覚えられなかたり、慰安婦の生活にどうしても慣れることができない娘もいた。そういう娘は、軍人が言葉をかけても返事をしないし、反抗的な態度をとる。そうすると軍人は、ただ勝手に行為だけすまして帰るし、いらいらして余計に慰安婦に乱暴するようになる。殴られたり、蹴られたりということにもなる。かわいそうに、乱暴される娘はいつも決まっていた。どんなに抵抗してもわたしたちは逃げることはできないのに……。

 男の相手をしたくないという気持ちはわたしも同じだけれど、慰安所ではそれは通用しない。娘にとっても兵隊にとっても、お互いに辛く惨めなことだった。」

 文玉珠さんの証言は、日本軍「慰安婦」問題を否定したい人たちに利用されています。軍人からもらったチップをこつこつとためていて軍事郵便貯金をして、戦後その引き出しを日本政府に求めたために、「高級娼婦だった」とも。

 文玉珠さんは長い慰安所生活の中で一度も業者からお金を受け取ったことはないと証言していますし、その額についても日本軍支配の崩壊によって役に立たなくなった軍票であり資産価値などなかったことはたくさんの研究者が立証していることですが、そのことはここでは置きます。

 文玉珠さんは慰安所の中でとても「うまく」振る舞ったので、たくさんのチップを受け取っただけの話です。文玉珠さんのもとに通った多くの兵士にとって軍票などなんの役にも立ちませんから、不思議なことでもなんでもありません。否定派の言うことなど信用に足らないと、少し考えればわかることです。

 ここで考えたいのは、先述した「うまく」の中身です。

 朴裕河は言います。「被害者だが同志的関係にあった」と。

 文玉珠さんの証言の表面だけを追えば、たしかに慰安所での生活に適応したように見えます。歌を歌って兵士を和ませ、特別な「スーサン」もできます。(慰安所における擬似恋愛は文玉珠さんに限った話ではなく、よく聞かれる話です。)証言の中でなんども「日本兵はかわいそうだった」ということも聞かれます。これが朴裕河のいうところの「同志的関係」なのでしょう。日本軍「慰安婦」制度が日本軍と一体のものであり、皇軍が侵略戦争を推し進めるためのものであったこと、そして女性たちの中には自分の気持ちを兵士と一体のものとして考えるようになったからといって……つまり、彼女の心まで奴隷状態にさせられたからといって、「同志的関係」という言葉が適切なのでしょうか?

 たしかに文玉珠さんは「うまく」生きたのだとは思います。「うまく」生きられない女性たちは兵士に殴られ、足蹴にされ、強かんされ続けました。しかしそのことは文玉珠さんが「強かんされなかった」「売春婦だった」「被害者ではなかった」ということにはなりません。性奴隷ではなかったということにはなりません。

 文玉珠さんの心の奥の奥に抱える苦しみが、 なかったということにはなりません。

 慰安所という異国の限られた空間に放り込まれ、周囲は日本兵ばかりで、なにが正しくてなにが間違っているのか判断する尺度さえ日本軍に奪われた状況で、日本兵に「うまく」合わせることが「同志的関係」なのであれば、それは誰の立場にたったものの見方なのでしょうか?

 人生に辛いことがあったはずなのにそのことは口にせず、楽しかった過去ばかりを話すというのは、なにも文玉珠さんに限った話ではありません。わたしたちの身近にもそんな人はたくさんいます。辛いことが深ければ深いほど、人はそれを語ろうとしません。

 戦場の中で生きた5年間を人に話す時、そこに語れない苦しみが明るい語りの後ろに隠れていることを想像することは、それほど難しいこととは思えません。

 文玉珠さんは、このようにもおっしゃっていたそうです。

「もう、もう……、慰安婦だったということは、忘れようと思っても忘れられない、消そうと思っても消せないことですよ。わたしは、前世でどんな悪いことをしたからこんな報いを受けたのか、と思っています。」

「わたしはあのとき、一生懸命慰安婦をしていました。酒をのみ、たばこを吸い、歌を歌って……。爆撃を受け、逃げまどったり、ジャングルの中を何日もひもじい思いをしながら歩きに歩いたですよ。もう話にもならない。」

「わたしは人間じゃなかった。あのときわたしは人間じゃなかった。」

 文玉珠さんの苦しみがどれほど深いものだったか、私たちに寄り添う気持ちがあれば十分読み取ることができます。

 いま、日本軍「慰安婦」問題についての日本人の感じ方は、「嘘」という一部の主張と、圧倒的大多数の無関心です。日韓合意に関しても「韓国がまた蒸し返している」という主張ばかりで、誰も被害者の苦しみに向き合おうとしてしていません。

 文玉珠さんの証言についても、否定派は自分の都合のいいようにねじ曲げて利用しますが、彼女の苦しみに少しでも向き合おうとしたのでしょうか?

 みなさん、被害者の証言に、まずは向き合ってみてください。その人がどんな人だったのか、知ることから始めてください。

 私たちは4月21日(金)18:30から、大阪市立総合生涯学習センターにて、この本の著者の森川万智子さんをお招きして学習会を開催します。ぜひともご参加ください。

[挺対協声明]韓国政府、「2015日韓合意」に法的拘束力ないと認定 ― これ以上、強行する理由はない!

 [挺対協声明] 
韓国政府、「2015日韓合意」に法的拘束力ないと認定
― これ以上、強行する理由はない!
 
 韓国政府が2015日韓合意に法的拘束力はないと、公式に認めた。これは、日本軍性奴隷制被害者たちが韓国政府に対し2015日韓合意の責任を問うために起こした訴訟の裁判過程で明らかになった。政府は、弁護団を通して提出した1月19日付および3月15日付準備書面で、合意の法的な性格について「2015日韓合意は条約のような法的拘束力のある合意には該当しない。法的拘束力のない国家間合意は、相互の信義に基づく政策遂行上の合意であって、法的なものではなく、政治的または道義的なものだ」と述べた。
 
 日本軍性奴隷制被害者12名は2016年8月30日、韓国政府を相手に、2015日韓合意の責任を問う国家賠償請求訴訟を起こし、現在訴訟中である。この訴訟は、韓国政府が日本軍性奴隷制問題解決のために努力していないことは被害者たちの憲法上の基本権を侵害するもので、違憲だとした2011年の憲法裁判所判決があるにも関わらず、韓国政府が2015日韓合意を発表したことに対する責任を問うものである。憲法裁判所の判決による違憲状態を取り除くどころか、日本軍性奴隷制問題は「最終的かつ不可逆的」に解決されると宣言して却って違憲状態を強化し、これによって被害者たちに精神的・物質的な損害を追加的に与えたとして、被害者12名は韓国政府に損害賠償を請求した。
 
 この訴訟で裁判所は大韓民国政府に対し、1)2015日韓合意で被害者の損害賠償請求権は消滅したのか、2)憲法裁判所が日本軍性奴隷制問題解決のために外交部に認定した作為義務を履行したと見なすことができるのか、3)安倍首相が合意当日、朴槿恵前大統領に電話で「日韓間の財産請求権問題は1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決されたという日本の立場に変わりはない」と発言した事実はあるのか、これに対し朴槿恵前大統領はどのように返答したのか、等を明らかにするよう求めた。
 
 しかし被告韓国政府は、このような裁判所の質疑にきちんとした答弁をしないまま時間を消費した挙げ句、答弁要求から3ヵ月経った今日(3月17日)、弁論の場でも答弁をしなかった。その一方で、「最終的かつ不可逆的解決」の意味については、日韓両国間の外交懸案として今後は「慰安婦」問題を提起しないという意味だと主張した。結局、韓国政府はこれ以上、日本政府に日本軍「慰安婦」問題の解決を要求しないということだ。責任認定と公式謝罪、法的賠償のどれ一つとしてきちんとなされていない状況で、もう二度とこの問題の解決を要求しないという韓国政府の無責任さと図々しさが再び裁判過程で如実に証明された。
 
 何よりも、今回の裁判で韓国政府は2015日韓合意に法的拘束力はないと公式に答弁したのだから、これ以上、この合意に拘る名分も、強行する理由もない。これに先立ち、韓国政府は国連の女性差別ワーキンググループなどの国連人権委員会特別手続が合意について韓国政府に送った質疑書に対する答弁においても、2015日韓合意が条約法に関するウィーン条約第2条に伴う条約ではないと回答している。にもかかわらず、自ら合意に手足を縛られているのである。
 
 日本政府の反人権的、反人道的戦争犯罪に対して、いい加減な合意をしてあげた上に、被害者と国民の反発を浴びながらもごり押しを続けて来た挙げ句、結局「合意」と呼ばれたそれは何ら法的拘束力もない「言葉遊び」だったということが明らかになった。このような「言葉遊び」に縛られて、今後も合意を強行することがあってはならない。
 
 朴槿恵政権の国政介入問題と失策、腐敗と不正が国民のロウソク集会で審判された。2015日韓合意こそ、代表的な外交介入事件であり致命的な失策であった。ロウソク集会で既に審判された合意に、これ以上、政府の弁明や責任回避などありえない。日韓合意の外交責任者である尹炳世長官は、朴槿恵前大統領と共に、真実を全て明らかにし、その責任を負わなければならない。尹炳世長官の辞任、和解・癒やし財団の解散、そして2015日韓合意の無効化へと当然進まなければならない。
 
2017年3月17日
 
韓国挺身隊問題対策協議会
共同代表 キム・ソンシル ユン・ミヒャン ハン・グギョム
日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶財団 
理事長 チ・ウンヒ

<挺対協声明>日本政府は平和の碑建設に対する攻撃と妨害工作を即刻中断し、戦争犯罪加害国家としての謝罪と責任を果たせ!

<挺対協声明>
日本政府は平和の碑建設に対する攻撃と妨害工作を即刻中断し、
戦争犯罪加害国家としての謝罪と責任を果たせ!

 今年3月8日、ドイツのレーゲンスブルクにヨーロッパ初の平和の碑(平和の少女像)が建設されました。米カリフォルニアのグレンデール市とミシガン州、カナダのトロント、オーストラリアのシドニー、中国の上海に続き6番目に海外に建てられた平和の少女像(以後少女像)でした。特にドイツに建てられた少女像は昨年9月、スウォン市とスウォン市の姉妹都市であるドイツのフライブルク市が建てることを協約した少女像が日本政府と日本の右翼の攻撃で霧散して以後、スウォン市民とドイツの市民の努力により建てられたことからその意味がより大きいと言えます。これは日本軍の性奴隷にされた女性たちの犠牲を記憶、追悼し、その女性たちが諦めなかった26年間の人権回復活動を称賛し、二度とあのような被害者を生みださないという世界の人々の連帯であり、決意なのです。こうした努力は戦争をやめさせ、戦時性暴力被害者の人権を回復するための実践となり、より多くの国や地域に広がって行くよう国際社会が支援しなければならない活動です。
 しかし日本政府は日本の右翼団体と一緒になって少女像を撤去するよう圧力をかけるなど、自ら進んで国際社会の笑いものになっています。これは「ナチの蛮行を記憶することはドイツの永遠の責任」であると明言し、第二次世界大戦当時ナチが犯した犯罪を謝罪し、責任を取っているドイツ社会では到底受け入れられない加害者の暴力であり、犯罪行為です。また、厳然たる平和に対する脅威であり、破廉恥な政治工作です。
 日本政府のこのような犯罪行為は今に始まったことではありません。近くは釜山総領事館前に少女像が建てられた時、釜山東区庁に撤去するよう唆し、東区庁はそれに屈服して少女像を撤去しましたが、釜山市民及び全国民的批判に直面して原状回復措置を行いました。しかしこれに留まらず、日本政府は駐韓日本大使を日本に召還するなど国家外交の力を総動員して異常な方法で少女像撤去のために圧力をかけています。2016年8月6日、オーストラリアのシドニーに少女像が建設される時も日本政府はオーストラリア政府と少女像の敷地を提供したオーストラリア基督教連合教団と教会サイドに大変な圧力と攻撃を繰り返しました。しかし結局失敗に終わり、国際社会に歴史を知らない無知な国家の姿を記録される外交的な恥を自ら招きました。しかし恥を知らない日本政府です。
 これだけではありませんでした。米カリフォルニアグレンデール市議会と市民は2013年7月30日、米下院決議採択8周年を記念し、グレンデール市立図書館前の公園に少女像を建てました。しかし日本政府は建設過程から反対と妨害を始め、建設後も撤去を唆すなどの圧力を加えました。挙句の果てに日本の右翼団体はグレンデール市を相手に撤去訴訟を始めました。カリフォルニア州の裁判所がすべての請求を棄却しましたが、これに留まらず1月の連邦最高裁に再び上告した状態です。私たちはこうした日本政府と一部の日本の右翼の没歴史的で反平和的な行いに怒りを禁じ得ません。
 日本軍が組織的にアジア太平洋地域の女性を戦場に連れて行き日本軍の性奴隷にしたことは人倫に反し、人権に反する戦争犯罪です。それにも拘らず戦争犯罪に対する反省や責任は消滅し、むしろその歴史を消そうとし、その歴史の犠牲者に暴力を加える日本政府のこうした態度は国際社会から公然と拒否されなければならず、むしろ非難されるのが当然です。既に国連人権機構などはずっと以前からこうした日本の公人及び政治家の妄言に対し、その深刻さを提起しています。日本政府に向かって、妄言をする公人及び政治家に対し公開の場で公式に反駁することを勧告して来ました。また世界各地から日本政府に向かって日本軍性奴隷制被害者に公式謝罪と法的賠償を履行せよという要求が出ています。
 こうした批判の声は日本軍性奴隷制被害を受けた被害国政府やその社会からも当然出て来なければなりません。ひいては日本政府に被害者追悼施設及び博物館建設、歴史教科書への記録などを通して再発防止措置を約束せよと迫らなければなりません。しかし韓国政府も、被害国政府も日本政府のこうした厚かましい犯罪行為に対して沈黙することにより政府の義務を忘れています。
 私たちはドイツを始めとした国際社会に要求します。日本政府と右翼団体の少女像に対する攻撃と圧力は当然拒否されなければならず、強力に批判されなければなりません。ドイツ、アメリカ、カナダ、オーストラリア、中国など世界各地に建てられた少女像は、撤去の脅威なく平和に守られ、地域の未来世代が戦争に反対し、平和を願う歴史教育の象徴として記念され継承されなければなりません。日本軍性奴隷制被害者に対する記憶とともに、戦争で性暴力被害を被り拷問や殺人に合うなどの犠牲を受けた世界の武力紛争地域における数多くの女性を記憶し、今もそうした状況に置かれている女性が平和と人権を保障される象徴として、各地域に建てられた少女像は保護されなければなりません。
私たちは韓国政府に要求します。2015年の日韓合意はすでに無効です!2015年.12.28日韓政府間の合意以後、日本政府によって繰り広げられている日本軍性奴隷制犯罪の否定、強制性の否定、法的責任の否認、そして少女像に向けた攻撃と歴史抹消などを通して2015日韓合意はすでに無効となっていることが確認できます。これ以上韓国政府は、もはや何の内容もなくなってしまった2015日韓合意を「守らなければならない」とする態度から抜け出さなければなりません。日本側が「振り込め詐欺」だと主張した賠償ではないお金10億円も即刻日本政府に返し、和解癒し財団も解散しなければなりません。そして26年間、被害者が街頭でや国際社会で要求してきた「犯罪認定」「真相究明」「公式謝罪」「法的賠償」「歴史教科書への記録・教育」「追悼碑と資料館の建設」などが実現されるよう政府の政策を樹立し、実行していかなければなりません。日本政府の少女像撤去の動き、及び要求に対しても断固として反対し、それどころか国内に追悼碑と博物館を建てて未来世代に教訓となるようにしなければなりません。
 私たちは日本政府に要求します。釜山日本領事館前の少女像撤去要求と外交的圧力の行使を即刻止めよ。また海外に建てられた少女像に対する攻撃をやめよ!戦争犯罪の加害国として持たなければならない反省の態度と法的責任を果たし、日本軍性奴隷制犯罪の認定、覆されない形での公式的公開的謝罪、法的賠償の実施と真相究明、歴史教育、追悼碑と資料館の建設などの再発防止措置のために力を尽くしなさい!
 私たちは今後も続けて国際社会と連帯し、2015日韓合意の無効、及び正しい解決のために活動し、被害者の犠牲があった戦場、被害者の人権運動が行われていた世界各地など、平和と人権実現を夢見る所に少女像の建設を広げ続けて行きます。これを通して被害者が叫んだ「私のような被害者が二度と生まれてはいけない」という願いが実現するよう努力します。

2017年3月16日

韓国挺身隊問題対策協議会 KNCC女性委員会 基督教大韓メソジスト会全国女教役者会 基督教大韓メソジスト会女宣教会全国連合会 基督女民会 大韓イエス教長老会全国女性宗教家連合会 新しい世の中を拓く天主教女性共同体 女性教会 仏教女性会 梨花民主同友会 全国女性連帯 平和を作る女性会 韓国教会女性連合会韓国基督教長老会女性宗教家会協議会 韓国基督教長老会女信徒会全国連合会 韓国女性団体連合 韓国女性民友会 韓国女性ホットライン 韓国女神学者協議会 韓国天主教女子修道会長上連合会
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【集会案内】ビルマに連れて行かれた日本軍「慰安婦」  -ムン・オクチュさんの足跡をたどってー

日 時: 2017年4月21日(金)18:30~(18:00開場)
会 場: 大阪総合障害学習センター 第一研修室 (大阪駅前第2ビル5階)
資料代: 800円(学生400円)
主 催: 日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク

講 演: 森川万智子 さん (フリーライター)
    ビルマの日本軍「慰安婦」 〜現地調査(1997~2003年)の報告~ 映像(26分)とお話




 2015年12月に日韓政府が交わした「合意」で、「慰安婦」問題は本当に解決したのでしょうか?日本政府は「お詫びと反省」「責任を痛感した」と表明したにもかかわらず、安倍首相は、国会で被害者への謝罪の意思を問われ、「毛頭考えてない」と吐き捨てました。日本政府は一体何を反省し、お詫びしたのでしょうか。口先だけの謝罪はさらなる暴力で、解決にはなりません。さらに、名誉回復の闘いを記念した「平和の碑(少女像)」の撤去を強要するのは、被害者たちの尊厳を否定するものです。
 ところが、吉村大阪市長はもっと恥ずかしいことをしました。姉妹都市のサンフランシスコ市が市民の意思を受けて建てる少女像の碑文に対し、「歴史の直視ではなく日本批判」だとして市長に書簡を送ったのです。「慰安婦」一人ひとりが、どこでどんな被害を受けたのか、幸いに生き残っても戦後をどのように暮らしてきたのか、その事実を知っているのでしょうか。歴史を直視すべきは吉村市長ではありませんか。
 中国とビルマで「慰安婦」だった文玉珠(ムン・オクチュ)さんの聞き取りをし、ビルマで調査をした森川万智子さんにお話を聞きます。多くの皆さんの参加をお待ちしています。

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上間陽子『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』

上間陽子著『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)を読みました。沖縄の5人のキャバ嬢と1人の援交をやっていた、10代(18歳未満も含む)の女性からの聴き取りが掲載されています。

ここに描かれている女性たちの共通項は、貧困と暴力です。ある程度想像はしていたことでしたが、こうやって活字となったものを読むとなかなか辛いものがあります。貧困に生まれ、生育する家庭環境が崩壊し、中学生でドロップアウト。両親からネグレクトされ彼氏からDV被害にあい、多くは出産してひとりで子を育てなければならず、生活のために割がよくて時間が制約されないキャバクラで働くことを選択せざるを得なくなります。10代で、しかも子どもを育てるとなると、選択肢はやはりここしかないのかという予測された絶望です。

文間からにじみ出る著者の労力を見つけるにつけ、心の中に闇や矛盾を抱えている女性たちに寄り添うことがどれだけ困難なことかということを考えてしまいます。

そしてこれらの体験は、日本軍「慰安婦」被害者となんと似通っていることか。朝鮮半島と台湾、つまり植民地下での「慰安婦」被害者の多くはやはり絶対的な貧困にあり、学校で最低限の教育を受けることも叶いませんでした。被害者たちは「自分がもっと賢かったら他の選択肢もあったのに」などと自分を責めますが、その「自己責任」はどの程度まで正当なのか。彼女たちにそれほど選択肢があったとは思えません。自己責任ということにしたい人たちは、結局は絶望的な境遇というものを理解していないのです。強制連行がなかったとしても、国家が罪をまぬがれる理由にはなりません。

本の帯で社会学者の岸政彦さんが「それは私たちに他人にとっては、不利な道を選んでいるようにしか見えないかもしれない」と厳しい批判を世間に対して寄せています。一人ひとりの体験談は、たしかに避けることのできない困難から最良の選択をしているようにしか見えません。社会はそれほどに冷淡です。

この本の中でも、妊娠して暴力的な彼氏に苦しんでいる時、生活保護課からは「世帯分離ができていないから保護の対象にはならない」、社協からは「まだ殴られてないのでシェルターはムリ」といわれています。たしかに制度上はそのとおりです。でもそれは冷淡です。役所が冷淡なのではなく、制度が、社会が冷淡なのです。

安倍首相なら「親が悪い」ということになるのでしょうか? そんな社会を治すためにも憲法24条を変えなければならないとでも。しかし彼女たちのはなんの罪もありません。貧困と暴力の連鎖は、個人の責任ではなく、まずは社会で抱えなければならない問題だし、貧困が解消しない限り絶対に解決しない問題です。ましてや国の考える教育政策などでなんとかできるはずがありません。

実はこの本を手にした目的は、現代の性風俗産業における奴隷制度を確認したいからということにありました。しかし、この本に書かれた女性たち5人はキャバ嬢だったので、それを読み取ることはできませんでした。売買春ではないキャバクラは、借金を抱えた女性がその返済のために拘束されるほどの「いい収入」ではありません。奴隷制度の前提として「本人の意志で辞めることができない」ということがあり、キャバクラはいつでも辞めることができます。

ただ、辞めることができるということと、他に選択肢がないということは、どれほど違うのでしょうか。

彼女たちの体験を読むことは、こんな社会はおかしいと確信するには十分です。

援交をやってる女性は、キャバ嬢よりも壮絶でした。家出し、日々の糧を得るために毎夜違う男性と性行為します。そのうちに彼と付き合うようになってからは、彼との生活のために援交を。その彼女の話からは、性を売るということがもつ本質的な矛盾を感じずにはおれません。

きっと彼女は自分の体験を誰にも言えないまま生きていくのでしょう。(日本軍「慰安婦」被害者と同じように。)

この女性だけが、著者が今では連絡が取れなくなっているということも、その絶望の深さを感じずにはいられません。

著者は琉球大学の教授で、非行少年少女の研究をしています。イロモノではない、しっかりとした書物で、信頼に値すると思います。また、この本の売上は「強姦救援センター・沖縄REIKO」に寄付されるそうです。

日本軍「慰安婦」問題からはほんの少しテーマがずれるのかもしれませんが、本質的なところではそれほど違いないのではと思い、ここに投稿します。

機会があれば一度手にとってみてください。

(だい)

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わたしたちは日本軍「慰安婦」問題解決のため、関西を中心に活動しています。

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