【追悼】イ・ギジョンハルモニ


皆さま 

またひとりの日本軍性奴隷制被害者が亡くなられました。 
忠清南道タンジンで暮らしていたイ・ギジョンハルモニが11月11日午前亡くなられました。 

1925年に忠清南道タンジンで生まれたハルモニは、19歳ごろに日本軍の服を洗濯する仕事があるとだまされ連行 されました。 
家族にも知らされることなく連れ去られました。 
プサンからシンガポール、ビルマの軍専用慰安所に動員されました。 
解放後、軍艦に乗ってプサンへ到着、ソウルでお手伝いなどをしながら細々と暮らしました。 
後に故郷へ帰ったハルモニは父親にだけ「慰安婦」生活を告白しました。 
2005年、被害事実を知った妹に連れられて申告されました。 

旧盆連休前に訪問したときは元気に笑ってくれたのですが、、、 
ハルモニたちに時間はありません。 
イ・ギジョンハルモニのご冥福をお祈りします。 

韓国挺身隊問題対策協議会 
梁路子 

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訃報

みなさま

 

韓国挺身隊問題対策協議会より、訃報のお知らせです。

 

17歳のハルモニを襲った恐ろしい体験や、その後の苦難の人生を思うと、言葉がありません。

謹んでご冥福をお祈りします。

 

 

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皆さま

 

2017年11月1日午前、日本軍性奴隷制被害者のひとりが亡くなられました。

ハルモニは、17歳のときにひとりで家にいたところ、区長と巡査が入ってきてとにかくついて来いといい、

恐れおののいた状態で何もわからないまま連行されました。

そして、タイ・シンガポール・ビルマとつれまわされ、ひどい苦痛を味わいました。

その後、大きな衝撃と恥ずかしさで身分を隠し、一人で苦しい生活をしてきました。

ハルモニは、昨日の夕方、いつものように床にふされましたが、

今朝確認してみるとすでに亡くなってられたそうです。

訪問のときには明るい笑顔を見せてくれたハルモニでした。

ハルモニが、生涯の苦痛をすべて忘れ、安らかに眠られるよう祈ります。

ハルモニのご冥福をお祈りします。

家族の意向により、葬儀は非公開で執り行われます。

 

韓国挺身隊問対策協議会

【追悼】ハルモニの訃報

みなさま

 

今月28日に河床淑ハルモニが亡くなられたとの消息をお伝えしたばかりなのに、

本日、もうひとりの被害者の訃報をお伝えしなければなりません。

 

お名前は公表されていませんが、慶尚北道大邱出身とのことです。

 

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

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ハ・サンスクハルモニのお葬式を終えた今日(830日水曜午後3時ごろ、また一人の日本軍性奴隷制被害者が老衰で亡くなられました。享年93歳。
1924
年に生まれたハルモニは、親戚の家に養女に出され育ちました。村の洗濯場から台湾の慰安所に連行されました。
解放後、あちこちを転々としながら、食堂や農作業をして生計をたて、2001年に政府へ被害者登録されました。
ハルモニが亡くなり生存者は35名になりました。
ハルモニのご冥福をお祈りください。
また、一日も早く日本軍性奴隷制問題が正しく解決され、ハルモニの名誉が回復し心に平和がおとずれるよう、ともに努力していただけるようお願いいたします。
遺族の意向でハルモニや葬儀の内容は非公開です。

 

韓国挺身隊問題対策協議会

【追悼】河床淑ハルモニ

みなさま

またもや悲しいお知らせをしなければなりません。

本日、昨年病状の悪化によって韓国に移送され、病気治療中だった中国在住の河床淑(ハ・サンスク)ハルモニがお亡くなりになりました。

ハルモニは中国に置き去りにされた「慰安婦」被害者として、早い時期から名のり出られて証言をされました。

2000年の女性国愛戦犯法廷で証言されたほか、映画「ナヌムの家」でも中国在住の被害者の現状を訴えられるなど、日本政府による解決を求めて懸命に声をあげてこられました。

心よりご冥福をお祈りするとともに、ハルモニが果たせなかった願いが実現するよう、みなさまとともに一層の努力をしていきたいと思います。




訃報 ハ・サンスクハルモニ逝去

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828日午前910分、日本軍性奴隷制被害者であるハ・サンスクハルモニが亡くなられました。

1928年に忠南ソサンで生まれ、今年かぞえで90歳になるハルモニは

工場に行けばお金を稼げるという言葉にだまされ

1944年に17歳で日本軍性奴隷として連行され苦痛を経られました。

解放後、故郷に帰ることができず

戦争の苦痛とともに戦後60年を中国で暮らした後

故郷にもどることができました。

2000年には日本の東京で開催された[女性国際戦犯法廷]で北側の証人として参席され、

水曜デモや日本での集会など、日本軍性奴隷制問題解決のための活動に積極的に参加されました。

長い入院生活を送っていたハルモニは、 日本の公式謝罪も法的賠償も受けられないまま。肺血症により亡くなられました。

これからは安らかに眠られることを願います。

ハルモニのご冥福をお祈りします。

韓国挺身隊問題対策協議会

【追悼】黄有良さん


最後の慰安婦訴訟原告死去 中国海南省の黄有良さん
 

14日付の中国海南省(海南島)の地元紙、南国都市報によると、中国人慰安婦による対日損害賠償訴訟の原告だった黄有良さんが12日、同省陵水リー族自治県の自宅で病気のため死去した。中国人元慰安婦による対日訴訟の元原告としては最後の存命者だった。同紙は1927年生まれで享年90歳としているが、満年齢ではない可能性もある。
 黄さんは旧日本軍の慰安婦にされたとして2001年、日本政府に損害賠償を求め、同省の女性7人と東京地裁に提訴。一審、二審ともに旧日本軍による女性らへの監禁や暴行を認めたが、請求権は失われたなどと判断し訴えを退けた。最高裁も10年、上告を棄却し、元慰安婦による他の対日訴訟と同様に敗訴が確定した。
 同紙によると、黄さんの死去で中国本土の元慰安婦の存命者は14人となったが、いずれも対日訴訟の原告ではなかった。(共同)

【追悼】金君子ハルモニ

7月23日、午前8時、京畿道広州ナヌムの家に暮らしていた

日本軍性奴隷被害者金君子ハルモニが亡くなられました。

 

1926年に平昌で生まれたハルモニは

17歳で日本軍に連行され苦痛を経ました。

1998年からナヌムの家で暮らしていましたが老衰で亡くなられました。

 

今年に入って二度ナヌムの家を訪問したときも体調がよくなく

みんなが集まるリビングに出てくることもできないハルモニの部屋に会いにいきました。

うれしそうに迎えてくれ、おきあがっていろいろな話をきかせてくれました。

笑いながらまた来なさいと手を振ってくれたハルモニ。

これからは苦痛や痛みをすべて忘れ、安らかにお眠りください。

金君子ハルモニの冥福をお祈りします。

 

韓国挺身隊問題対策協議会

【追悼】陳亜扁さん

5月11日に日本で海南島裁判を闘われた陳亜扁さんが亡くなられたというニュースに接しました。

私たちはまた一度、被害者に真摯に謝罪する機会を失いました。

安倍政権は被害者の死をどう受け止めているのでしょうか?

「朴槿恵大統領に謝ったからもう謝罪しない」

「被害者への謝罪の手紙など毛頭考えていない」

そう言い放っていた安倍首相。まさか笑っているのではないでしょうね。

陳亜扁さん、ごめんなさい。私たちはあなたためにいま何ができるのか、考え、行動します。(だい)

http://www.recordchina.co.jp/b178072-s0-c10.html

元慰安婦が死去、過去に日本を訪問し謝罪と名誉回復を訴え―中国

12日、南海網によると、中国海南省に住む旧日本軍の元従軍慰安婦女性、陳亜扁さんが11日早朝、同省陵水黎族自治県の老人養護施設で死去した。
2017年5月12日、南海網によると、中国海南省に住む旧日本軍の元従軍慰安婦女性、陳亜扁(チェン・ヤーピエン)さんが11日早朝、同省陵水黎族自治県の老人養護施設で死去した。90歳だった。 

陳さんは1927年12月生まれ。42年春、14歳で従軍慰安婦にされ、旧日本軍が管轄する複数の慰安所で4年に渡って慰安婦として働かされた。45年8月、日本の敗戦を受けて慰安所から逃げ出し、親戚の家にたどり着いたという。解放後に結婚したものの、慰安所での生活がたたり、8度にわたって流産。9度目の妊娠でやっと女の子を授かった。夫は76年に病死し、その後娘と暮らしていた。 

陳さんら同省の元慰安婦女性8人は01年7月、日本を訪問。日本政府に対して謝罪と名誉回復を訴えていたが、請求は棄却された。陳さんの死により、同省に残る元慰安婦女性は1人になった。(翻訳・編集/大宮)

【追悼】陳蓮花阿媽

12月の「アマ・ミュージアム」開館式のときにはお元気そうに挨拶されていました。元気そうに見えただけなのかもしれません。それだけに哀しさが募って仕方ありません。

あなたの生きた人生を、私たちは忘れません。

台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会からの訃報を転載します。

みなさま
残念な、悲しいお知らせをしなければなりません。

台湾の陳蓮花さんが今夜2017年4月20日、午後8時頃お亡くなりになりました。

昨年の12月10日の「阿媽の家」オープンには元気な姿を私たちに見せてくれたので、そのとき、開館式に参加してくださったみなさまから声をかけてくれたかたもいたと思い、お知らせいたします。
開館式以後、台湾の正月が終わった頃から体調をくずし、3度ほど手術をしました。

4月13日、ICUに入っている陳蓮花さんにお会いしてきましたが、チューブが口に入っており、呼びかけるとうっすら目をあき、かすかにうなずく様子がみられましたが、言葉を交 わすなどはほど遠い状態でした。

陳蓮花さんは、1924年生まれ、フイリピンで看護助手を募集しているといわれ、セブ島で「慰安婦」被害を受けました。

米軍の攻撃を受けたりしながらセブ島に到着。台湾人兵士に「どうしてきたのか」と聞かれ、「看護婦の仕事をしに」といったら「看護婦じゃない、慰安婦だ」と言われましたが、「慰安婦」の仕事とは何かわからなかったといいます。
やがて米軍の艦砲射撃がひどくなり、山中へ逃げ込んだりしますがこの逃避行の中で台湾から一緒に来て仲良くしていた女性が亡くなり、彼女の爪や髪を切って持ち帰りました。帰国してからも彼女の身内を見つけられなかったため、その後も蓮花さんはその人を弔い続けたといいます。

日本降伏後、米軍の捕虜収容所で、最初にあった台湾人兵士が蓮花さんを探しに来て奇跡的に再会し、やがて台湾に帰ってから2人は結婚します。
帰国してからも経済的には苦しく、洋裁などで生計をたてました(蓮花さんは、ワークショップに参加するときなど自分で縫ったという洋服を着ていつもおしゃれでした)。

蓮花さんは、阿媽たちのワークショップ等にはいつも参加していましたが、公に名前や顔を出すのはずっと後のことでした。
なぜ、顔や名前を出すことにしたの?と聞いたことがあります。蓮花さんは「もう年をとったからね。いいんだよ」といいました。

蓮花さんが初めて大勢の人を前にした証言は、日本の京都での証言集会の時でした。
ときおり、日本語でカンポウシャゲキと表現し、そのすさまじさを「パラパラパラ」と身振り手振りで語りました。そして泣きました。なるべく泣かないように毅然としていた蓮花さんが泣きました。


気強く、信仰深く生きてきた蓮花さんの旅立ちの途がどうぞ平安でありますように・・・。
 
蓮花さん、私たちはあなたを忘れません。

【追悼】李順徳ハルモニ

みなさま

大変悲しいおしらせをしなければなりません。


4月4日午前7時30分、日本軍「慰安婦」被害者の中で最も高齢だった李順徳(イ・スンドク)ハルモニが永眠されました。
享年100歳でした。

1918年に全羅北道金堤(キムジェ)で生まれたハルモニは、1934年17歳の時に就労詐欺によって慰安所に連れていかれて以降、満州や上海を転々としました。
日本軍による暴力で頭や胸、臀部などを靴や足で蹴られたり、刀による傷を受け、後遺症で目がよく見えないなど、体と心に負った深い傷は生涯ハルモニを苦しめました。
1945年、解放後に韓国に帰ってきましたが、両親は病で亡くなっており、以降、家政婦などをしながら生きてきました。
1990年以降、「慰安婦」被害者の名のり出によって「慰安婦」問題が社会に提起されると、自らも太平洋戦争犠牲者遺族会を通じて申告、1998年には関釜裁判の原告として日本政府を相手に訴訟を起こし、法廷で証言するなど、解決のために行動されました。

李順徳ハルモニのイメージフラワーは寒い冬にも枯れない椿で、「椿ハルモニ」とも呼ばれました。
ハルモニは麻浦区にある「慰安婦」被害者の共同施設である「平和のウリチプ」で暮らしていましたが、2014年6月からは高齢のために近くの療養病院に入院されていました。
ソウル西大門区(ソデムング)の延世大学セブランス病院葬儀場に置かれた焼香場には市民や学生、与野党議員、ソウル市長など多くの人々が訪れ、お見送りをしました。

6日午前に出棺予定です。

韓国の生存被害者は38名となりました。

【追悼】パク・チャスンハルモニ

中国大陸に残されたハルモニは、本当は韓国に帰ったハルモニより多かったのではないかと思っている。そのくらい、敗戦後に放置されたハルモニたちの絶望は深かった。そんなハルモニがまた一人亡くなられた。合掌。(だい)

中国湖北省に暮らしていた日本軍「慰安婦」被害者パク・チャスンハルモニが

2017年1月18日午前7時30分に亡くなりました。

 

1923年に生まれたハルモニは

家が貧しく伯父の家にあずけられ、酒を売る丁稚奉公をされました。

そうしているうちに中国へと売られ

湖南省、南京などで日本軍性奴隷にされ苦労しました。

解放後、日本軍は武漢の日本租界地で日本軍「慰安婦」を集めましたが、

日本軍の監視がゆるんだすきに逃げ出しました。

「慰安婦」生活をしたことをとても恥ずかしいことだと故郷に帰ることは考えず

そのまま中国に残りました。

昨年、中国湖北省にハルモニを訪問したとき、ハルモニは韓国語をすべて忘れていましたが

故郷はどこかとたずねると全羅南道羅州だと韓国語でこたえ、アリラン、豆満江などを歌われました。

「朝鮮は大丈夫かい?」と故国の心配をしていたハルモニ。

健康状態が急に悪化し、今日の午前に目を閉じられました。

ハルモニ、これからは苦痛をすべて忘れ、故郷の心配もせず、

安らかにお眠りください。

パク・チャスンハルモニのご冥福をお祈りします。

韓国挺身隊問題対策協議会

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日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク

Author:日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
わたしたちは日本軍「慰安婦」問題解決のため、関西を中心に活動しています。

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