2018/05/20
2018/05/01
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動は日本政府に対して抗議声明を発表しました
昨年12月にフィリピン・マニラに建立された日本軍「慰安婦」像が4月27日、突然撤去されてしまいました。2017/12/07
【抗議文】 大阪市民が60年間育ててきた姉妹都市関係を独断で解消し、 サンフランシスコ市にわい曲した歴史を押し付けようとする吉村市長に、 市長の資格はありません!
2017/02/10
【抗議文】「慰安婦」碑の設置中止を求めるサンフランシスコ市議会への公開書簡に抗議します
吉村洋文 大阪市長
「慰安婦」碑の設置中止を求める
サンフランシスコ市議会への
公開書簡に抗議します
大阪市の発表によれば、吉村市長は2月1日付のサンフランシスコ市長あて公開書簡を通じて、日本軍「慰安婦」を象徴する碑の設置に遺憾と懸念を表明されました。
サンフランシスコ市議会で「慰安婦」碑の設置が満場一致で可決されたのは2015年9月22日のことでした。日系、韓国系を含む市民らが、過去の過ちを記憶し、人身売買や女性への暴力に反対するために設置を求めていたものです。当時の橋下大阪市長はこれに異を唱え、「『慰安婦』はどこの国にもあった」「なぜ日本だけが言われるのか。アンフェアだ」などと批判しました。結果的に、歴史的事実から目を背け、被害者を侮辱する発言を繰り返す橋下市長は国際的に大きな非難を浴び、予定していた姉妹都市サンフランシスコ市の訪問も断られる事態にまで発展したことは、吉村市長もよく御存じでしょう。
ところが、このたび碑の設置が具体化する中で、再び吉村市長が同趣旨の公開書簡をサンフランシスコ市長宛に送ったことを知り、私たちは驚きあきれ、怒りを抑えることができません。大阪市民を代表する市長として、恥ずべき行為と言わざるを得ません。
公開書簡で、市長は「慰安婦」問題について、日本政府はすでに「日韓合意」(2015.12.28)で責務を果たしており、碑の設置は「合意」の精神を傷つけるものであるとしています。しかし、「合意」で「お詫びと反省」「責任を痛感」と述べたことで責務は果たしたと言うのであれば、「慰安婦」被害者を記憶し、世界中から性的暴力と人身取引をなくすことを祈る碑の設置を、どうして「合意の精神に反する」「日本批判」と非難することができるのでしょうか。また、碑文の内容について「慰安婦」の数や規模、日本軍の関与の度合いなど、歴史研究者の間でも議論が分かれる不確かで一方的な主張であると述べています。このような主張はまさにこの間碑の設置に反対し、海を越えてサンフランシスコ議会に押しかけ、被害者を侮辱する発言をためらわなかった右派勢力と一致するものです。「合意」の精神を傷つけているのは市長ご自身ではありませんか。
そもそも「日韓合意」は、韓国をはじめアジア各地の被害者の頭越しに「最終的不可逆的解決」を宣言したもので、女性の人権問題である「慰安婦」問題の解決にはなり得ません。
また、市長は公開書簡で碑の設置が「両市の交流、果ては日米関係にも悪影響を及ぼす」と述べていますが、サンフランシスコ市長は返礼の書簡で、「サンフランシスコには、公的や民間によって建てられた多くの記念碑がある。『慰安婦』の碑は民間のプロジェクトが先導して進めたものだが、彼らは姉妹都市関係を壊そうと意図していない」「碑文の文言は事実で、記念碑の真の目的は被害者の名誉、市民の教育のため」ときっぱりと否定しているではないですか。市長の行動こそが姉妹都市サンフランシスコにとどまらず、国際社会の信頼を失うことになるのではないかと危惧します。
私たちは公開書簡を通じてサンフランシスコ市議会に圧力をかけ、碑の設置を中止させようとした吉村市長の行為に強く抗議し、再びこのような恥ずべき行為を行わないこと、今後歴史認識をあらため、女性の人権が守られる社会の構築のために努力するよう求めます。
2017年2月10日
日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
2017/01/31
NHK番組「クローズアップ現代+」(2017年1月24日放送)「韓国 過熱する“少女像”問題 初めて語った元慰安婦」に対する公開質問状
先日NHKの「クローズアップ現代」で「慰安婦」 問題と関連した放送がありました。
その内容について問題点が多く、見過ごすことはできないと考え、 本日以下の公開質問状をNHK日本放送協会宛てに送付しました。
2月10日までの回答を求めています。
番組は以下のYouTubeでご覧になれます。
クローズアップ現代+ 「韓国 過熱する“少女像”問題 初めて語った元慰安婦たち」
NHK日本放送協会会長 上田良一 様
「NHKクローズアップ現代+」担当者 様
NHK番組「クローズアップ現代+」(2017年1月24日放送)
「韓国 過熱する“少女像”問題 初めて語った元慰安婦」に対する公開質問状
1月24日に放送された「クローズアップ現代+ 韓国 過熱する“少女像”問題 初めて語った元慰安婦」は、視聴者に誤った情報を与えており、看過できない内容でした。
以下に主な問題点を列記し、各項目につき説明を求めます。
1.番組は、「当事者にも多様な声」があり「それを置き去りにしない」ことが求められていると締めくくっていますが、同番組こそが、「日韓合意」に反対して「支援金」を拒否している被害者の「声」を「置き去り」にしています。受け取った被害者が「多数」と強調していますが、「多数の声」だけを伝えることは「多様な声」を伝えることにはなりません。なぜ一方の声だけを取り上げたのか、説明を求めます。
2.番組は、韓国では「合意」を受け入れた被害者の声が伝えられていないと何度も繰り返していますが、日本では反対する被害者の声が伝えられていません。同番組も、「支援金」を受け取った被害者および家族3組を紹介する一方で、反対する被害者はただの1人も登場させませんでした。これは、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」という「放送法第4条4項」の定めに背くものではないのか、説明を求めます。
3.番組は、このような偏った取材に基づいて、「まさに当事者の思いとは異なる形で少女像が設置されている」とまで断定しました。少女像を自らの分身だと言い、愛情を注ぐ被害者も多数存在するにもかかわらず、なぜこのような断定をしたのか、説明を求めます。
4.「支援金」が31名の被害者に支給されたことは韓国でも報道されていますが、これを受け取った被害者に対する非難の声は、運動団体や市民、メディアも含め、韓国社会のどこからも聞こえてきていません。その支給過程で韓国政府や「和解・癒やし財団」がとっている言動に対する批判が出ているだけです。にもかかわらず、番組では「アジア女性基金」の例をあげながら、お金を受け取った被害者が厳しい世論にさらされているかのような印象付けをおこなっています。何を根拠にこのような報道をしたのか、説明を求めます。
5.釜山の少女像問題については、朴槿恵大統領の退陣を求める韓国のデモを紹介し、「こうした政治的な空気の中で、釜山の日本総領事館前に少女像は設置された」と、あたかも韓国内の政治状況が少女像設置の要因であるかのように伝えています。しかし、釜山総領事館前の少女像設置を計画し推進した学生団体は、「合意」直後の2016年1月20日に設置計画を発表し募金活動を開始しています(2016年1月21日付『産経新聞』)。つまり、ソウルの日本大使館前の「平和の碑」(少女像)の「適切な解決」に言及し、10億円で「最終的・不可逆的解決」を買おうとするかのような日本政府の態度こそが、若者たちを突き動かした要因だったのです。釜山の総領事館前の少女像設置について、基本的な経緯等に関する取材すらしていないと思われますが、この点について説明を求めます。
釜山に少女像を設置した学生団体は、「合意」に反発した市民の一例です。番組は、なぜ韓国の市民がこれほど「合意」に反発しているのか、韓国市民の声を取材し明らかにするのではなく、「合意」で被害者が納得しているにも関わらず、これに反対する市民という構図の下、今日の事態の責任を韓国市民社会に問うものでした。これが、根本的な誤りです。今日の事態の責任は、被害者への謝罪の手紙を書く意思は「毛頭ない」と言い放つ安倍首相、10億円は「賠償ではない」と繰り返し、被害者個人が現在も持っている法的賠償請求権を無視して一貫して「法的に解決済み」と主張する日本政府にあります。これらの言動は、「合意」でうたった「反省とお詫び」が口先だけのものだと、韓国市民に繰り返し確認させる役割をしたのです。
番組の最後では「(被害者が亡くなれば)当事者不在の最悪のシナリオ」になると危惧し「当事者に寄り添う原点を忘れずに」と強調しています。しかし、そもそも被害者の頭越しに拙速な「合意」を行い、それを被害者に押しつけた当事者は誰なのでしょうか。そうした日韓両政府の対応の問題に切り込むことこそメディアの果たすべき役割ではないでしょうか。
今回の報道内容は、政府の意向を忖度することで、メディアとして事実を追究し、様々な角度から報道するという役割を忘れ、「慰安婦」問題を歪めており、強く抗議します。あわせて、NHKは公共放送として国家の統制から自立し、市民の目線に立った報道を行うよう強く求めます。
本状に対する回答を、2月10日までにお送りください。
2017年1月31日
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動
2016/03/10
国連女性差別撤廃委員会からの勧告を受けて要請行動
3月10日、私たち関西ネットも参加している、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動は、外務省に対する要請行動を行いました。要請書の全文を貼り付けますので、ぜひお読みください。写真は記者会見の様子です。(たな)岸田文雄外務大臣殿
去る2016年2月16日、第63会期女性差別撤廃委員会において、日本報告書審査が行われました。その審査結果は3月7日に最終所見として公表され、日本軍性奴隷制の課題については、被害を受けた女性たちの真実・正義・被害回復の権利が保障されていないとして、厳しい勧告がなされました。日本政府は、日韓政府の二国間合意によって、「慰安婦」問題は解決したと主張していますが、女性の人権の視点からみれば、韓国政府との合意だけで解決したとの主張は、国際人権スタンダードとして受けいれられないことが明らかになりました。
日本軍性奴隷制の事実を伝え、被害を受けた女性たちの被害回復を求めてきた私たちは、委員会の最終所見に心から歓迎の意を表するとともに、日本政府が女性差別撤廃委員会の勧告およびこれまでの国際社会の勧告を受け入れることを求め、以下要請します。
1、日韓政府間「合意」について
女性差別撤廃委員会は、日韓政府の「合意」後に初めて国連人権機関として詳細に「合意」の内容を検討したうえで、「被害者中心アプローチを十分に採用していない」と評価した。この事を重く受け止めること。そして「合意」を実施するにあたっては、「被害者/サバイバーの見解を十分に考慮し、彼女たちの真実と正義と被害回復に対する権利を保障」せよとの勧告を受け入れること。
2、他国を含む被害者の権利について
他の関係国の「慰安婦」被害者に対する国際人権法上の責務を締約国が果たしていないことを遺憾だとした委員会の見解を受け入れること。そして、日本軍性奴隷制のもとで性暴力被害を受けたすべての女性たちが持つ真実と正義と被害回復に対する権利を保障するために、「損害賠償、満足、公式謝罪とリハビリテーションを含む十全で効果的な救済と被害回復措置を提供」しなければならないとの勧告を受け入れること。この勧告を実施するために、日本軍による性暴力被害者の存在するすべての国々の政府および被害者・支援組織との協議をただちに始めること。
3、現在進行形の人権侵害について
日本政府は、1985年以前の課題は委員会の管轄外だと主張し続けているが、女性差別撤廃委員会は他の人権条約機関と同様に、“効果的な救済の不足が継続している状況では侵害が継続している”との見解を提示した。こういった国際人権機関の見解に、国連人権理事国である日本が反論するような恥ずかしい行為をやめること。そして被害者に更なるトラウマを与える政治家や公職者の否定発言に反駁し、また、教科書に「慰安婦」問題の記述を復活することによって、人権侵害を防止し、被害回復を促進すること。
この最終所見の公表を受けて、岸田外務大臣は3月8日の定例記者会見で、「国際社会の受け止めとはかけ離れている」として受け入れられない旨の発言をしましたが、国際人権基準を理解しない日本政府の判断こそ、国際社会の認識とかけ離れています。たとえ藩基文国連事務総長や,米国政府,英国政府が歓迎しようと、被害を受けた女性たちが歓迎していなければ、被害者の心に癒しはもたらされません。当事者が新たな侮辱だと捉えている現状は深刻です。被害者の権利を認めて、被害回復のための一歩をただちに踏み出すことを強く求めます。
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動

2016/01/25
大阪府教委の「慰安婦」補助教材に対する再要望書
日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークと子どもたちに渡すなあぶない教科書大阪の会は、1月25日、大阪府教委に再要望書を提出しました。私たちはこの間、大阪府教育委員会が作成した「『慰安婦』に関する補助教材」に対して、私たちは11月10日に「抗議文および公開質問状」を提出しました。
またこの件で、12月1日に府教委交渉をおこなったところです。
そして12月9日、私たちの質問状に対し、大阪府教委は正式に文書で回答をしましたが、その内容は実質的には「無回答」に等しいものです。そのような回答で納得できるはずもありません。
そこで私たちは、今回の再質問状を提出しました。これは12月28日の日韓外相会談での「合意」を受けて、その内容を副教材に反映することを求めるものです。
日韓「合意」は、被害者にとっても、日本で支援活動をする私たちにとっても到底許容できるものではありません。
しかし大阪府教委作成の教材は、河野談話を否定し、安倍談話を持ち上げ、「強制連行はなかった」=「日本軍「慰安婦」問題はウソだった」論に加担しかねないものだけに、大阪府の副教材を明確に河野談話に引き戻し、そして加害の事実をキチンと教え正しい歴史認識を育むための教材にしていかなければなりません。
今後、大阪府教委に引き続き交渉を申し入れていきます。(だい)
日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
子どもたちに渡すな!あぶない教科書大阪の会
大阪府教委の「慰安婦」補助教材に対する再要望書
10月28日の教育委員会会議で「『慰安婦』に関する補助教材について」が示されました。これに対して11月10日に質問を行った私たちへの文書回答は、肝心の要望・質問には一切答えておらず、このような回答では到底納得出来ません。
そんな中、12月28日の日韓外相会談において日本軍「慰安婦」問題について日韓政府レベルの「合意」がなされました。日本軍「慰安婦」問題について生徒の理解を深めるためには、この新たな状況を踏まえた教材が必要です。日本軍「慰安婦」被害者は、日本政府による公式の謝罪と賠償だけでなく、被害を二度と繰り返さないための教育の必要性を訴えています。日本軍「「慰安婦」問題の真の解決のためには、教育の果たす役割は重大です。是非とも、以下の要望事項について真摯に回答するよう求めます。
(1)日韓「合意」の中に示された安倍首相の言葉を補助教材に追加すること
日韓外相会談での「合意」は、日本軍「慰安婦」被害者不在でなされたものであり、「最終的な解決」とするにはほど遠いものでした。
しかし、安倍首相の言葉として「軍の関与のもとで女性の名誉と尊厳を傷つけた」ことを認め、「日本政府の責任」と「心からのお詫びと反省」を表明し、日本政府の立場を明らかにしたということは事実です。この発言は、1993年に閣議決定された河野談話が次のように述べたものを再確認し表明したものと考えられます。
「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。…その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。…いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。」
これは、府教委が慰安婦の副教材を作成した際に踏まえたとされる、平成26 年1月に改正された高等学校教科用図書検定基準と平成27 年3月4日付の「学校における補助教材の適正な取扱いについて(通知)」の内容にも合致したものである以上、府教委の「補助教材」に、今回の「合意」内容を、河野談話と関連づけて追加するように求めます。
(2)日韓「合意」に対する被害者の声を補助教材に追加すること
日韓「合意」に対し、韓国社会で批判の声があがり、大きな反対運動に発展しています。特にご高齢の被害者自身が「被害当事者である私たちを無視している」と怒りをあらわにしていることは、教材作成の際にも留意せざるを得ないと考えます。
なによりこの教材が日本政府の見解を一方的に取り上げることに終始しており、被害者の証言など被害事実に一切触れていないことは、今回の「合意」同様、「被害者不在」と批判されても仕方がないものと、私たちは考えます。
日韓「合意」の内容を取り上げることは当然のこと、この「合意」に対して被害者たちがどう受け止めているのかを記述することは、「多面的・多角的に考察し、公正に判断する能力をはぐくむため」にも必要不可欠です。
被害者の証言を掲載することを改めて要望すると同時に、今回の「合意」を受けての被害者の受け止めも記載するよう求めます。
今回の日韓「合意」を受けての、金福童さんの発言
「政府間で認めて、私たちには何の相談もなく妥結したなんて、いくら考えても納得できない。私たちはお金のために闘ってきたんじゃない。日本が過去の歴史を誤ったことを認め、安倍さんが立ちあがって謝罪し、日本の子どもたちが歴史をちゃんと学べるようにしてくれるならまだ納得できるが、自分たちだけで、賠償でもなく、何のためにやっているのか。少女の碑についても、民間人が過去の歴史の悲劇を子どもたちが学べるようにと建てたもの。
こんな謝罪は受け入れられない。終わらせることはできない。謝罪するなら正しく謝罪するべきだし、韓国政府も解決と言うなら正しく解決しなければ。お互いが平和のためにやると言うなら、正しくやってくれることを願う。」
前回の話し合いの中で府教委は、現行の高校教科書に松井知事が指摘した「間違った教科書」がないことを認めました。さらに、補助教材作成に当たって吉田証言に基づいた授業が行われているかどうかの調査さえも行っていないことが明らかになりました。結局、大阪府立高校で吉田証言に基づいた授業が行われている事実は確認されていませんでした。府教委が補助教材を作成する根拠が全くなかったことになります。
また今回の日韓「合意」や河野談話に、吉田清治証言が影響を与えていないことは明白(2014年10月3日衆議院予算委員会での管官房長官の発言<辻元議員への回答>による)です。高校生向けの副教材で吉田証言問題を掲載することは、被害者たちに対してなされた「強制」を「連行時の状況」だけに限定して「強制はなかった」とする、河野談話にも反する誤った認識を高校生に伝えることです。それは、日韓「合意」で日本政府が河野談話を踏まえて「責任を痛感している」と認めているのを否定することにつながり、国際問題に発展しかねません。加えて、前回いただいた【質問3に関する回答】には、「史実の認識や評価に慎重を期す必要がある」ため「朝日新聞の記事取り消しと言う明白な事実と、種々の政府見解を取り上げることにしました。」とありますが、取り消した朝日新聞記事の内容そのものにも、明らかに重大な事実誤認があります。朝日新聞の論理は法的にも、そして国際的な人権基準に照らし合わせた批判にも耐えられるものではありません。(*事実誤認内容は下記)。
従って、今回の補助機溶剤のうち吉田清治氏の関する記事に関する部分は、些末な事実に過ぎず、しかも朝日新聞の記事訂正についても事実誤認があるため、検定基準等にも入らないことはもちろん、学校現場に無用の混乱をもたらすことは明らかです。補助教材の「Ⅱ」を削除するように求めます。
①同日の朝日新聞は、河野談話が女性たちを連行した形態を、略取(暴力的に連行)と誘拐(騙して連行)に分けて問題にしている、と誤解した報道をおこなっています。吉田証言を否定したのも、その文脈においてです。しかし河野談話は、両者を区別なく「甘言(誘拐)、強圧(略取=強制連行)による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」としています。朝日新聞社の河野談話理解は間違っているのです。したがって朝日の見解は、政府見解とも無関係です。
②「慰安婦」問題の中心は、もちろん慰安所の中での強制的な性暴力が問題にありますが、その一方で連行そのものも強制であり、それ自体もう1つの犯罪を構成します。慰安婦犯罪とは、両者を合わせて一つのものとして、これまで存在してきました。そこには当然にも、誘拐という犯罪も含まれてきました。略取と言う暴力性を帯びた強制連行以外は犯罪では無いかのように語る傾向に対し、朝日新聞は「騙しても強制連行」と明確な立場で反論すべきであったにもかかわらず、今回そこから後退し、騙して連行したのであれば問題でないかのような記事を作成したことは根本的な問題でした。
③朝日新聞は、日本の刑法が「誘拐」と「略取」を一体のものと捉え、罪の軽重さえそこにくわえていないことさえ知っていないようです。「慰安婦」問題は、これまで日本の刑法でそのレベルにおいて捉えられてきましたし、これからもそうであるとする、幅広く支持された研究者の主張を斥け、狭い意味での連行だけを問題とする見解に押され、その1例にすぎない吉田証言の真偽にのみとらわれる誤りを行いました。吉田証言が取り上げるに足らないものであることは、1990年代の初めに、すでに研究上は決着ついた問題でした。
2015/11/26
NHKの報道姿勢を問い、籾井勝人会長の罷免を求めます!
みなさま日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークでは籾井会長の就任記者会見以来、継続して抗議行動や申し入れを行っています。
この間は毎月NHK経営委員会に合わせて申し入れ書を送付しています。
24日の経営員会時に送ったものをお送りします。
(ぱん)
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NHKの報道姿勢を問い、籾井勝人会長の罷免を求めます!
11月6日、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は、昨年5月にNHK「クローズアップ現代」で放送された「出家詐欺」報道の過剰演出問題で意見書を発表し、「重大な放送倫理違反があった」と指摘しました。意見書は一方で、2015年4月28日、NHKがこの番組についての調査報告書を公表したわずか数時間後、高市早苗総務相が番組に対する厳重注意を公表したことや、自民党情報通信戦略調査会が4月17日の会合にNHKの堂元光副会長を呼び、番組について非公開の場で説明させたことを、放送の自由とこれを支える自律に対する政権党による圧力として厳しく批判しました。
自民党の行いはもちろん厳しい批判に値しますが、私たちは上記意見書の「おわりに」の中で、「放送に携わる者自身が干渉や圧力に対する毅然とした姿勢と矜持を堅持できなければ、放送の自由も自律も侵食され、やがては失われる。これは歴史の教訓でもある。放送に携わる者は、そのことを常に意識して行動すべきであることをあらためて指摘しておきたい。」とあることを、NHKは肝に銘じるべきと考えます。
日頃のニュース番組を見れば、NHKが「干渉や圧力に対する毅然とした姿勢と矜持を堅持」しているとはとうてい考えられないからです。むしろ政権の顔色をうかがい、圧力をかけられるまでもなく、視聴者が政権に批判的な考えを持つような内容は避けているとしか思えません。たとえば、現在大きな問題となっている沖縄辺野古の新基地建設に関して、NHKニュースでは現地の反対運動についての報道など、ほとんど見ることができません。たまに少し報道されても、全体としては、ヘリから撮影した映像を用いながら工事は着々と進んでいると伝える内容になっています。11月7日の渋谷NHK包囲行動で映画監督の影山あさ子さんが、「あれは報道ではなく広報だ」と指摘したのも頷けます。
また、上記意見書が「放送局に不祥事が起きると、再発防止策はどうしても制作現場の管理を強化するという方向に傾きがちである。新たな防止策によって報道現場の管理が必要以上に強化され、『情報源の秘匿』を損なったり事件の真相に迫る取材活動の萎縮を招くことのないよう十分な配慮を期待する。」と述べたことについても、現在のNHKがそのような危惧を抱かせる体質を持っていることの表れだと考えます。
今年2月まで経営委員会委員長代行を務めた上村達男早稲田大学法学部教授は、10月下旬に『NHKはなぜ、反知性主義に乗っ取られたのか』(東洋経済新報社)を上梓し、籾井会長が就任会見で、まだNHK内部のことをまったく知らなかったにもかかわらず、「(NHKの)ボルトとナットを締め直す」と発言したことに関わって、権力をふりかざして現場職員を締め付けようとする姿勢に疑問を呈しています。私たちはそのような籾井会長が、「出家詐欺」報道の過剰演出問題を好機とし、現代社会の矛盾に迫る良心的な番組として高い評価を受けている「クローズアップ現代」の現場制作者への締め付けを強めるのではないか、時間短縮や打ち切りもあり得るのではないかと心配せざるをえません。
さらにNHKは、10月25日の日曜討論において、まだ結成もされていない「大阪維新の会」の片山虎之助議員を出演させる一方で、政党である「山本太郎と生活の党と仲間たち」から山本太郎議員を呼ばないという人選を行い、ここまで露骨に安倍政権の機嫌取りをするのかと、日曜討論のネットサイトが炎上に近い状態になる程の批判を浴びました。
私たちは、安倍政権にすり寄ることだけを信条としているような人物がNHKのトップに居座り続け、公共放送としての責務を果たせない報道番組の原因となっていることにこれ以上我慢できません。
2015/11/10
【抗議文および公開質問状】「『慰安婦』に関する補助教材」に抗議します政府見解を一方的に押しつけるのではなく、日本軍「慰安婦」問題の被害を具体的に教えるべきです
大阪府教育委員会 様
子どもたちに渡すな!あぶない教科書大阪の会
【抗議文および公開質問状】
政府見解を一方的に押しつけるのではなく、
日本軍「慰安婦」問題の被害を具体的に教えるべきです
10月28日の教育委員会会議で「『慰安婦』に関する補助教材について」が示されました。私たちはその内容に驚き、怒りを禁じ得ません。日本軍「慰安婦」問題の被害の実態を一切示さないまま、政府の見解を一方的に押しつけるものだからです。このような偏った教材を高校生に押しつけることに抗議します。
この教材は以下の3項目の事実だけを記載しています。
Ⅰ 慰安婦問題に関する近年の主な動き
Ⅱ 吉田清治氏に関する記事の掲載とその取り消しについて
Ⅲ 慰安婦問題に対する日本政府の考え
この3項目は単なる事実の羅列ですが、事実の取捨選択が間違っていると言わざるをえません。ここでは、日本軍「慰安婦」被害者の声や姿には全くふれられません。日本軍「慰安婦」問題とは何であるのかの言及がなく、政府の見解だけを示すのであれば、それはもはや歴史の教材としての体をなしていません。この教材だけを読めば、高校生たちは「日本軍『慰安婦』被害者の強制連行はなかった」「日本軍『慰安婦』問題は存在しない」と信じてしまうでしょう。
この教材作成のきっかけは吉田清治氏に関する朝日新聞記事の取り消しだそうですが、吉田証言は、金学順さんら被害者が名乗り出ることによって日本軍「慰安婦」問題が本格化した1991年よりも前のものです。1992~1993年にはすでに信憑性が疑われており、歴史史料として用いられたことはありません。当然、教科書の記述への影響はなく、教育現場もそれによって左右されてはいません。いま、高校生に吉田証言とその真偽を教える理由はなにもありません。
私たちは、日本軍「慰安婦」問題について学ぶ上で補助教材を用いることそのものに反対するものではありません。むしろ歴史の事実を正しく教え、高校生に正しい歴史認識を持って欲しいと願っています。そのためには、日本軍「慰安婦」被害者の被害実態を具体的に学ぶことが必要です。その上で政府見解を知り、政府がこの問題にどう向きあっているのか考えることが大切です。多様な資料を生徒自らが検討し自主的な判断をくだせるようにすることこそが本当の意味での歴史学習ではないでしょうか。
日本軍「慰安婦」被害者たちは、20年以上にわたって日本政府に対して謝罪と賠償、歴史教育を通じての記憶の継承を一貫して求め続けてきました。また河野談話でも「歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視し」「歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ」るとしています。そして世界では、日本軍「慰安婦」問題は女性の人権問題としてとらえられています。いまも世界各地で頻発している戦時性暴力を根絶するため、そのシンボルとして、この問題が注目されているのです。2014年の国連自由権規約委員会では「委員会は、締約国が、慰安所のこれらの女性たちの『募集、移送及び管理』は、軍又は軍のために行動した者たちにより、脅迫や強圧によって総じて本人たちの意に反して行われた事例が数多くあったとしているにもかかわらず、『慰安婦』は戦時中日本軍によって『強制的に連行』されたのではなかったとする締約国の矛盾する立場を懸念する」と、日本政府に対して勧告が出されています。
私たちは、このような一方的な教材を作成し使用させようとする大阪府教育委員会に、抗議します。
そして日本政府の見解ばかりでなく、日本軍「慰安婦」被害者の被害事実を同時に教えることを要求します。
大阪府教育委員会は、日本軍「慰安婦」問題は歴史認識の問題であると同時に人権問題であるという視点を持ち、以下の質問に誠実に答えてください。
なおこの質問状はHP等で公開します。11月24日までに文書で回答願います。
《質問》
1,補助教材として日本軍「慰安婦」被害者の証言、少なくとも日本の裁判所にて認定された被害事実を掲載するべきと考えます。[資料①]
これに対する貴職の考えを教えてください。
2,日本政府の主張ばかりを載せるのではなく、国連の勧告、アメリカ・EU議会の決議等、国際社会から日本政府に対して要求されている声を掲載するべきと考えます。[資料②]
これに対する貴職の考えを教えてください。
3,大阪府教育委員会として、日本軍「慰安婦」被害者の強制連行はなかったと考えているのでしょうか。なかったと考えているのであれば、[資料①]も参考にした上で、その根拠を教えてください。あったと考えているのであれば、なぜその事実を教材に掲載しないのか教えてください。
4,吉田証言が否定されたことを今、副教材として取り上げるのは、吉田証言が教育現場で教えられていると貴職で判断されたからでしょうか。そうであれば、吉田証言を教育現場で教えている事実を調査しましたか? そうでなければ、教育現場で教えられていない吉田証言を副教材に掲載する意図を教えてください。
5,この教材を作成するに当たり、学識経験者の意見を求めましたか。もし学識経験者の意見を求めたのであれば、それが誰なのか教えてください。もし意見を求めなかったのであれば、それはなぜなのか教えてください。
[資料①]
■ 朝鮮人「慰安婦」被害者に対する裁判所の事実認定の例
関釜裁判 山口地裁下関支部判決(1998年4月27日)
2、慰安婦原告らの被害事実
〔被告の〕反証は全くないものの、高齢のためか、慰安婦原告らの陳述書やその本人尋問の結果によっても、同原告らが慰安婦とされた経緯や慰安所の実態等については、なお明瞭かつ詳細な事実の確定が殆ど不可能な証拠状態にあるため、ここでは、ひとまず証拠(甲一、 三ないし甲六、原告朴頭理、原告李順徳)の内容を摘記した上、末尾においてその証拠価値を吟味し、確実と思われる事実を認定することとする。
( 一 ) 原告河順女の陳述
① 原告河順女は、大正七年(一九一八年)二月二日、現韓国全羅南道木浦市で生まれた。 家は貧しく、葉葺きで部屋二つであった。同原告は、一九歳であった昭和一二年(一九三七年)の春ころ、現韓国全羅南道光州市で呉服屋を経営していた社長宅に住み込みの家政婦として働いていたが、買い物のために外出したとき、洋服を着た日本人と韓国式の服を着た朝鮮人の二人の青年から、「金儲けができる仕事があるからついてこないか。」と声をかけられた。 同女は、当時としては婚期に遅れた年齢にあり、金儲けがしたいと思っていた矢先であったので、どんな仕事をするかわからないまま、彼らを信用してついて行くことにした。同女は、朝鮮の港から大阪に連れて行かれ、大阪で一泊した後、再び船に乗せられるなどして、上海に連れて行かれた。
② 同女は、上海のアメリカ人かフランス人の租界区の近くにある「陸軍部隊慰安所」と書かれた看板が掲げられている長屋に連れて行かれた。 同女を勧誘した日本人男性が慰安所の主人であった。右長屋は、人が二人やっと寝ることができる程度の広さの、窓のない三〇室位の小部屋に区切られており、同女は、その一部屋を割り当てられた。同女は右部屋で炊事・洗濯の仕事をさせられるものと思っていた。 しかし、右長屋の一部屋を割り割り当てられた翌日、カーキ色をした陸軍の服を着た日本人の男が部屋に入ってきて、同女を殴って服を脱がせたため、同女は悲鳴をあげて逃げようとしたが、部屋の戸に鍵がかかっており、逃げることはできなかった。
③ 同女は、その翌日から、右部屋において、生理のときを除いて毎日朝九時から夜二時くらいまで、軍人との性交渉を強要され続けた。慰安所の主人の妻が軍人から金をもらっていたが、同女は一度も金をもらったことはなかった。同女は軍人の相手をしたくなかったので、炊事・洗濯などの家事をしていたチョウさんという中国人夫婦の手伝いに時々抜け出したり、主人に対して、炊事・洗濯だけの仕事をさせてくれるよう懇願したが、その都度、激しく殴られ、生傷が絶えなかった。同女は、ある日、どうしても耐えられず、慰安所から逃げ出したが〔略〕連れ戻され〔略〕、主人から、長さ約五〇センチメートルの樫の棍棒で体中を激しく殴られ、最後に頭を殴られ大出血をした。 この時の頭の傷が原因で、同女は、現在も雨降りの際に頭痛がしたり、時々頭が空白になる症状に悩まされている。
④ 終戦後、慰安所の主人も軍人らも、同女だけを慰安所に残したままいなくなった。 残された同女は、建物を壊したり放火していた中国人から危害を加えられるのではないかという恐怖の中、チョウさんの奧さんに匿われた後、上海の坤頭まで連れていってもらった。同女は埠頭で三日間、乞食のように野宿をして帰国船を待ち、ようやく帰国船に乗って釜山に帰り着き、故郷に帰ることができた。 故郷では、父親は怒りや悲しみのために「火病」で亡くなっており、〔略〕母親には上海に行って軍人の家で炊事などをしたと嘘を告げた。
⑤ 同女は、釜山挺身隊対策協議会へ被害申告をするまで、従軍慰安婦であったことを隠し通し、本件訴訟提起に際して初めて実名を公表した。
(二) 原告朴頭理の陳述と供述
① 原告朴頭理は、陰暦一九二四年(大正一三年)、九月二日、現韓国慶尚南道三浪津郡で生まれた。同女は、七人兄弟の一番上に生まれ、弟三人と妹三人がおり、家の暮らしぶりは非常に貧しかったため、自分が働いて金を稼いで家に入れなければならないと思っていた。 同女が数えで一七歳のころ、三人の男が娘たちを集めるために、同女らの家族が住んでいた村にやってきた。 同女の家にも、五〇歳以上と思われる朝鮮語と日本語を話す男が訪ねてきて、同女に対し、「日本の工場で金になる仕事がある。」と話しかけてきた。同女は、日本の工場に行って働き、金儲けをして父母を養いながら嫁に行きたいと考え、その男の話を信用して日本の工場に働きに行くことに決めた。同女は、父母に対し、「日本で稼いで家族に仕送りがしたい。」と申し出たところ、父母はこれを疑うこともなく反対もしなかった。その後、同女を勧話した男が、同女と一〇人くらいの村の娘らを一緒に釜山に連れて行った。同女は、釜山から大きな船に乗せられて台湾へ連れて行かれた。
② 〔要旨。 船酔いのため〕入院した後、慰安所へ連れて行かれた。同女を動誘した男が慰安所の主人であった。主人は同女に対し、「客をとれ。」と述べ、同女は、「それは話が違う。」と逃げようと考えたが、言葉も道も分からず、頼れる人も知っている人もいないため、逃げることはできなかった。同女は男と接したのはその時が初めてであり、乱暴な暴行を受け、軍人たちから強姦された。日本人の軍人が客の多数を占めていたので、慰安所において朝鮮語を使うことは暴力によって禁止されており、同女の呼び名も「フジコ」であった。
③ 同女は、一日に一〇人前後の男の相手をさせられ、性交渉を強要された。休みは一か月に一日だけであり、自由な外出もできなかった。 慰安所での食事は粗末であり、食べたい物を買う金もなく、あまりの空腹のため、慰安所の近くのバナナ園のバナナを取って食べ、そのことで、バナナ園の主からも、慰安所の主人からもひどく叩かれたこともある。同女は、台湾にいた五年問、慰安所の主人から金をもらったことはなく、位の高い軍人からもらうチップも慰安婦として身奇麗にしておくための化粧品を買える程度のものだった。
〔要旨。 弟から「文房具がほしい」という手紙が来ても金がなく、泣いていた同女に同情した他の「慰安婦」の募金で買って送ったこともあった〕同女は、慰安婦として長年、性交渉を強いられたことにより、右の太股の下がパンパンに腫れ上がるという病気に罹り、その手術痕が現在でも遺っている。
④ 同女は、敗戦後、慰安所の管理人であった朝鮮人の男に連れられて船で故郷に帰った。
同女は、父母に対し、「台湾にある日本の工場で働いていたが給与はもらえなかった。 」と虚偽の事実を述べた。その後、同女は、結婚し子供も生まれたが、台湾の慰安所での生活のことは隠し通してきた。 同女は、本件訴訟提起により〔略〕実名にて初めて公表した。
(三) 原告李順徳の陳述と供述
① 原告李順徳は、陰暦一九一八年一〇月二〇日、朝鮮全羅北道裡郡慕縣で生まれた。同女は、父母が出稼ぎに出ているため、家事一切を切り回していた。同女は昭和一二年(一九三七年)の春、満一七、一八歳のころ、夕食の準備をするため畑の畦道で蓬を摘んでいたところ、四〇歳位の朝鮮人の男から、「そんなことをしているよりも自分についてくれば、履き物もやるし着物もやる。腹一杯食べられるところに連れて行ってやる。」と声をかけられた。同女は、家が貧しく満足な履き物もなく、空腹を癒すことに精一杯の生活を送っていたため、その男の誘いに応じてついて行くことに決めた。同女が「父母に挨拶してから行きたい。」と懇請したにもかかわらず、その男は、「時間がない。急ごう。」と言って、同女の手を引っ張って行った。同女は男から手を引っ張られたことに驚き、恐ろしく恥ずかしくてそのまま泣きながら連れて行かれた。同女は、その途中、その男の前を歩かされ、約一時間後に裡里邑の旅館に連れて行かれた。同旅館の部屋は、外から鍵がかけられ、同女と同じような年齢の娘たちが一四、五人おり、いずれもどこに何のために連れて行かれるのか分からず泣いていた。翌日カーキ色の服を着てゲートルを巻き腰にサーベルをぶら下げた旧日本軍の軍人三人が、同女らを裡里駅から列車に乗せて三日かけて上海駅まで連れて行った。上海駅に着いた後、〔要旨。 右軍人と一緒に別の軍人が運転するトラックの荷合に乗せられ、約三時間後、駐屯地へ連行された〕
② 同女らは、陸軍の駐屯地の大きな軍用テントの近くに転々(ママ)と置かれた小屋に一人ずつ入れられた。その小屋は、むしろの壁に萩の木で編んで作った傾斜のない屋根が葺かれ、二、三畳の広さの床は枯葉を敷いた上にござを敷き、その上に国防色の毛布を敷いた粗末な造りであった。そのため、雨が降ると雨水がたくさん漏れてきた。同女は、軍服と同じ色の上着とモンペを支給され、最初の二日間に血液検査と「六〇六号」という注射を打たれた。その「六〇六号」という注射は、その後も二週間に一回の割合で打たれた。
③ 陸軍駐屯地に入れられて四日目に、星が三個ついた軍服を着たミヤザキという年配の将校が小屋に入ってきて、同女に対して執拗に性交を迫り、これに抵抗できなくなった同女を三日間にわたり毎晩犯した。その後、多くの軍人が小屋の前に行列をつくり、次から次へと同女を強姦し、昭和二〇年〔略〕八月の解放の時まで約八年間、毎日朝九時から、平日は八、九人、日曜日は一七、八人の軍人が、小屋の中で同女を強姦し続けた。
④ 同女は、昭和一〇年〔略〕六、七月ころ、ある兵隊から、「自分と約束しているのになぜ他の男と寝たのか。」と責め立てられ、軍靴で腹を蹴り上げられたり、刀で背中を切りつけられたりしたこともあった。そのときの傷痕は現在でも同女の体に遺っており、今でも痛みがあり、特に雨の降る日などは胸がうずき、めまいなどのために歩くことさえままならない症状に悩まされている。同女は、右の暴行による傷の治療を一週間受けただけで、また軍人との性交渉を強要された。
⑤ 昭和二〇年〔略〕の日本の敗戦後、陸軍駐屯地から日本の軍人はいなくなり、残された同女は、「解放だ。帰ろう。」と叫びながら集まってきた朝鮮人とともに、屋根のない貨車に乗って何日もかけてようやく家に帰ることができた。同女が家に帰ると〔略〕弟が叔母の家に身を書せていた。両親は、同女を探し回り、絶望して亡くなってしまっていた。同女は、弟にも、後に二度結婚した夫に対しても、自己の被害事実を隠し通してきた。同女は二度の結婚生活の間、子どもができず、婦人科の診察を受けて初めて自己の子宮が変形しており、子どもができない体になっていることを知った。
(四) 慰安婦原告らの陳述や供述の信用性
① 前記(一)ないし(三)のとおり、慰安婦原告らが慰安婦とされた経緯は、必ずしも判然としておらず、慰安所の主人等についても人物を特定するに足りる材料に乏しい。また、慰安所の所在地も上海近辺、台湾という以上に出ないし、慰安所の設置、管理のあり方も、肝心の旧軍隊の関わりようが明瞭でなく、部隊名すら分からない。
しかしながら、慰安婦原告らがいずれも貧困家庭に生まれ、教育も十分でなかったことに加えて、現在、同原告らがいずれも高齢に達していることをも考慮すると、その陳述や供述内容が断片的であり、視野の狭い、極く身近な事柄に限られてくるのもいたしかたないというべきであって、その具体性の乏しさにゆえに、同原告らの陳述や供述の信用性が傷つくものではない。かえって、前記(一)ないし(三)のとおり、慰安婦原告らは、自らが慰安婦であった屈辱の過去を長く隠し続け、本訴にいたって初めてこれを明らかにした事実とその重みに鑑みれば、本訴における同原告らの陳述や供述は、むしろ、同原告らの打ち消し難い原体験に属するものとして、その信用性は高いと評価され、先のとおりに反証のまったくない本件においては、これをすべて採用することができるというべきである。
② そうであれば、慰安婦原告らは、いずれも慰安婦とされることを知らないまま、だまされて慰安所に連れてこられ、暴力的に犯されて慰安婦とされたこと、右慰安所は、いずれも旧日本軍と深くかかわっており、昭和二〇年〔略〕八月の戦争終結まで、ほぼ連日、主として旧日本軍人との性交を強要され続けてきたこと、そして、帰国後本訴提起に至るまで、近親者にさえ慰安婦としての過去を隠し続けてきたこと、これらに関連する諸事実関係については、ほぼ間違いのない事実と認められる。
■ オランダ人「慰安婦」被害者に対する裁判所の事実認定の例
オランダ人裁判 東京地裁判決(1998年11月30日)
(一)原告らの被言事実
原告らは、いずれも、日本軍の捕虜又は民間人抑留者として捕虜収容所又は民間人抑留者に収容された期間中に、次に述べる被告の戦争犯罪行為の犠性になったものである。原告らの被害事実は、それぞれ次のとおりである。
(8)原告工リー・コリー・ヴァン・デル・プローグ
ア 原告エリー・コリー・グァン・デル・プローグは、一九二三年一月四日出生し、一九四二年三月当時、高校を卒業したばかりであった。
そのころ収容が始まり、プローグは、母親及び姉弟とともに車の展示場に閉じ込められた後、スマランにあるハルマヘイラ収容所、その後クラマット収容所にそれぞれ収容された。プローグは、右のいずれの収容所においても、炎天下の中で点呼やお辞儀を数時間も強制され、軍靴で蹴られるなどの暴行を受けた。また、食料及び医療品は不足していた。
プローグは、マツクジラプリィのたばこ会社で働くと聞かされていたにもかかわらず、スマランのクラブで慰安婦として強制売春をさせられた。そのため、プローグは、性病に罹患してしまい、オランダ本国に帰国後、その治療に一年間の期間を要した。
プローグは、一九四五年八月一五日、バタヴィアのクラマット収容所から解放された。しかし、プローグの家族は、インドネシアでの家も店もその他あらゆる財産を失い、プローグの父も殺されてしまっていた。
プローグが収容されたスラマン(ハルマヘイラ)抑留所は、モロタイ臨時軍法会議法廷において、戦争犯罪で断罪されており、プローグが戦争犯罪行為の犠牲者であることは明らかである。
イ プローグに対する本件加害行為のうち、非人道的な取扱、強制労働に従事させたこと、虐待をしたこと、特にスラマンにおいて慰安婦として使役したことは、ヘーグ陸戦規則四六条一 項に違反する。
■ 中国人「慰安婦」被害者に対する裁判所の事実認定の例
中国人一次裁判 東京高裁判決(2004年12月15日)
第三 当裁判所の判断
1 本件各行為及びその背景事情等について
証拠(甲3ないし11、〔略〕、当審における証人近藤、同石田、原審における控訴人李本人、同控訴人周本人、原審及び当審における控訴人割本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。(一部公知の事実を含む。)
(1)日本軍は一九三一年のいわゆる満州事変を発端として、当時の中華民国本土への軍事的介入を開始し、一九三七年七月七日のいわゆる盧溝橋事件を切っ掛けに、中華民国政府と交戦状態となった。日本軍の北支那方面軍は、同年一〇月初めころ山西省に侵入し、同年一一月八日に省都である太原を占領した後、敗戦に至るまで八年近く同地域の占領を続けた。なお、日本軍が占領した地域には、日本軍人の強姦事件を防ぐ等の目的で、「従軍慰安所」が設置され、日本軍の管理下に女性を置き、日本軍将兵や軍属に性的奉仕をさせた。八路軍が一九四〇年八月に行った大規模な反擊作戦により、日本軍北支那方面軍は大損害を被ったが、これに対し、北支那方面軍は、同年から一九四二年にかけて徹底した掃討、破壊、封鎖作戦を実施し(いわゆる三光作戦)、日本軍構成員による中国人に対する残虐行為も行われることがあった。このような中で、日本軍構成員によって、駐屯地近くに住む中国人女性(少女も含む)を強制的に拉致、連行して強姦し、監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為、いわゆる慰安婦状態にする事件があった。
(2) 控訴人李の被書事実等 【注】李秀梅
控訴人李は、一九二七年春、山西省盂県八区李庄村(現在の山西省孟県西播郷李庄村)の農家に三人兄弟の末っ子として生まれ、一九四二年当時、父母及び兄と四人で暮らしていた。なお、李は、当時の中国の風習に従って幼少時に纏足をしたため、歩行が困難で、走ることは全くできない。また、当時のこの地方の女性たちに一般的なことであったが、全く就学の機会がなかったため、字の読み書きをすることができない。(これらの点は、劉、周及び陳についても同様である。)
李は、一九四二年旧暦八月ころ〔新曆を略〕、日本軍兵士らによって自宅から日本軍の駐屯地のあった進圭村に拉致・連行され、駐屯地内のヤオドン(岩山の横穴を利用した住居。 転じて、横穴を穿ったものではなく、煉瓦や石を積み重ねて造った建物も指す。)に監禁された。その当日、駐屯地内の砲台の中の部屋に連れて行かれ、日本軍兵士に強姦されたのを初めとして、後記のように5か月ほど後に自宅に運ばれるまでの間、上記のヤオドンあるいは砲台の中の部屋で、ほとんど毎日のように複数の日本軍兵士らに強姦を繰り返された。当時、李は、一五歳で未婚であり、性体験はなく、性行為についての知識もなかった。
李は、監禁されて五か月ほど経ったころ、強姦に来る者の中でひときわ残酷な対応をすると感じていた者から強姦されようとした際、抵抗したところ、その者からベルトで顔面を殴打されたり、左大腿部を軍靴で蹴り付けられたり、こん棒で頭を殴られるなどの暴行を受け、大怪我を負わされた。李は、見張りの者によって進圭村の民家に運ばれたが、それを伝え聞いた兄によって数日後自宅に搬送された。
その後、李は、二〇歳のころ結婚し、夫との間に四人の子どもが生まれ、現在は夫と二人で西煙鎮に居住し、〔要旨。 子供たちの援助で生活〕。そして、李の体には、上記の拉致・ 監禁・ 強姦・暴行等のために、頭部には陥没した傷痕があって、頭が痛くなったり、緊張すると気分が悪くなったりする。左手はその手首が右手首より細くなっている上、自由に動かない、左大腿部を負傷したため左臀部が右臀部より小さく、足の長さも左足の方が短い、右目は上記のベルトによって顔面を毆打されて以来見えにくくなり、若いころにはある程度見えた左目も今はほとんど見えなくなっている等の後遺症が残っている。
(3) 控訴人劉の被害事実等 【注】劉面換
控訴人劉は、一九二七年春、中国山西省盂県西潘郷羊泉村で〔略〕生まれ、〔略〕一九四三年の旧暦三月ころ〔略〕、三人の中国人と三人の武装した日本軍兵士らによって無理やり自宅から連れ出され、銃底で左肩を強打されたり、後ろ手に両手を縛られるなどして抵抗を排除された上、進圭村にある日本軍駐屯地に拉致・連行され、ヤオドンの中に監禁された。そして、当日、〔略〕多数の日本軍兵士らによって強姦された。〔略〕このような監禁と強姦が約四〇日間にわたって続けられた。〔略〕父が「娘の体を治したら、また連れて来るので、いったん帰らせてほしい」と懇願したことにより、〔略〕やっと解放された。
その後、劉は、結婚したが、村の人々が上記のような劉の被害事実を知っていたため、相手は年の非常に離れた再婚の男性だった。 〔要旨。 子供は五人、左肩の傷は今も治らず、左手では物も持てないなどの後還症に苦しんでいる〕
(4) 控訴人周の被害事実等 【注】周喜香
控訴人周は、一九二五年に生まれ、一五歳で結婚し、山西省孟県西潘郷李庄村で夫とその家族と共に暮らしていた。 周は、一八歳の時に共産党に入党し、村の婦連(共産党に関連した地元の婦人組織)の主任として活動していた。
一九四四年三月、周を含む共産党組織の一二名が会合を開いているところへ日本軍が襲い、周は、銃底で左腕を殴られたり、後ろ手に縛られたりして進圭村に連行され、一軒の民家に監禁された。その日の夜、周は、何人もの日本軍の兵士に立て続けに強姦された。次の日以降も、周は、少なくとも六日間にわたり上記の部屋に監禁された状態で、日本軍の兵士らに連日連夜強姦された。ある日、周は、進圭村から他の場所に連行されて行く途中で八路軍に救出され、家に戻ることができた。
周は、上記の暴行・ 強姦等のため、体が思うように動かず、夫との間で夫婦生活を行うこともできなくなり、子供をもうけることもできなかった。〔要旨。夫は病気で農作業が出来ず自殺〕その後、周は、生活のために子供のある男性と結婚したが、〔要旨。その夫も死亡し、夫の連れ子の世話で暮す〕。そして、周は、今なお上記のような暴行・強姦による恐怖を繰り返し思い出すことを余儀なくされるなど、精神的に苦しむ日々が続いている。
(5) 控訴人陳の被害事実等 【注】陳林桃
控訴人陳は、一九二三年、山西省孟県西潘郷候庄村で生まれ、一五歳の時〔略〕結婚し、羊泉村で〔略〕住んでいたが、後に夫は八路軍に身を投じ、任務で家を空けるようになった。一九四三年旧暦七月ころ、陳は、日本軍兵士によって強制的に進圭村の日本軍駐屯地に拉致・連行され、日本軍兵士などから「夫の居場所を吐け」などと尋問されたり、何回も殴打されるなどした上、ヤオドンの中に監禁され、〔略〕約二〇日間にわたり、監禁された状態で、夜昼なく何人もの日本軍兵士らに強姦された。陳は、上記の暴行・強姦などによる傷害等のため、人が呼んでも反応しないような状態になってしまったが、それを伝え聞いた家族らがものを売ったり借りたりして金を作り、これを日本軍に渡して陳を取り戻した。〔以下要旨。その後、実家で生活。夫も退役し、子供は六人。当時折れた骨が右大腿部に突出し、歩くのに杖が必要。悪夢に悩まされる〕
(なお、上記(2)ないし(5)の事実認定について付言すると、〔要旨。控訴人らは別紙により、事実関係に関する具体的詳細な主張を行っているが〕出来事からの時間的経過や、控訴人らはいずれも当時の体験をそれに近接した時間内に記録していたわけでもないこと等にかんがみると、本件における事実としては上記の限度で認定するのが相当である)
[資料②]
国連など、国際的な諸機関がおこなった勧告等を、近年に行ったもののみを掲載しています。
■ 国連自由権規約委員会 最終所見(2014年)
「慰安婦」に対する性奴隷慣行
14. 委員会は、締約国が、慰安所のこれらの女性たちの「募集、移送及び管理」は、軍又は軍のために行動した者たちにより、脅迫や強圧によって総じて本人たちの意に反して行われた事例が数多くあったとしているにもかかわらず、「慰安婦」は戦時中日本軍によって「強制的に連行」されたのではなかったとする締約国の矛盾する立場を懸念する。委員会は、被害者の意思に反して行われたそうした行為はいかなるものであれ、締約国の直接的な法的責任をともなう人権侵害とみなすに十分であると考える。委員会は、公人によるものおよび締約国の曖昧な態度によって助長されたものを含め、元「慰安婦」の社会的評価に対する攻撃によって、彼女たちが再度被害を受けることについても懸念する。委員会はさらに、被害者によって日本の裁判所に提起されたすべての損害賠償請求が棄却され、また、加害者に対する刑事捜査及び訴追を求めるすべての告訴告発が時効を理由に拒絶されたとの情報を考慮に入れる。委員会は、この状況は被害者の人権が今も引き続き侵害されていることを反映するとともに、過去の人権侵害の被害者としての彼女たちに入手可能な効果的な救済が欠如していることを反映していると考える(2 条、7 条、及び8 条)。
締約国は、以下を確保するため、即時かつ効果的な立法的及び行政的な措置をとるべきである。
(i) 戦時中、「慰安婦」に対して日本軍が犯した性奴隷あるいはその他の人権侵害に対するすべての訴えは、効果的かつ独立、公正に捜査され、加害者は訴追され、そして有罪判決がでれば処罰すること。
(ii) 被害者とその家族の司法へのアクセスおよび完全な被害回復。
(iii) 入手可能なすべての証拠の開示。
(iv) 教科書への十分な記述を含む、この問題に関する生徒・学生と一般市民の教育。
(v) 公での謝罪を表明することおよび締約国の責任の公的認知。
(vi) 被害者を侮辱あるいは事件を否定するすべての試みへの非難。
■ 社会権規約委員会最終所見(2013年)
C.主な懸念事項および勧告
26.委員会は、「慰安婦」が被った搾取が経済的、社会的及び文化的権利の享受及び補償の権利にもたらす長きにわたる否定的な影響に懸念を表明する(第3条、第11条)。
委員会は、締約国に対し、搾取がもたらす長きにわたる影響に対処し、「慰安婦」が経済的、社会的及び文化的権利の享受を保障するためのあらゆる必要な措置をとることを勧告する。また、委員会は、締約国に対して、彼女らをおとしめるヘイトスピーチ及びその他の示威運動を防止するために、「慰安婦」が被った搾取について公衆を教育することを勧告する。
■ 女性差別撤廃委員会 最終所見(2009年)
【女性に対する暴力】
37.委員会は、「慰安婦」の状況について締約国がいくつかの措置をとったことには留意するが、第二次世界大戦中に被害を受けた「慰安婦」の状況について、締約国が永続的な解決を見出していないことを残念に思うとともに、学校の教科書からこの問題に関する記述が削除されたことに懸念を表明する。
38.委員会は、「慰安婦」の状況について、被害者への補償、加害者処罰、公衆に対するこれらの犯罪に関する教育を含む、永続的な解決を見出す努力を締約国が緊急に行うべきとの勧告を改めて表明する。
■ 拷問禁止委員会 最終所見(2013年)
19. 第二次世界大戦中の日本軍性奴隷制の慣行の被害者、いわゆる「慰安婦」に対して行われた虐待を認めるためにとられた諸手段に関して日本政府から提供された情報にもかかわらず、委員会はこの問題に対処するに当たり、締約国が、特に以下について本条約に基づく責務を果たすのを怠っていることに、深い懸念を持ち続けている(条約第1条、第2条、第4条、第10条、第14条、16条)。
(a) 適正な救済とリハビリテーションを被害者に提供するのを怠ったこと。委員会は、公的資金ではなく民間の募金による財政で賄った賠償が、不十分かつ不適切であったことを遺憾とする。
(b) 拷問のこのような行為の加害者を訴追し、裁きの場に立たせて刑を受けさせるのを怠ったこと。委員会は、拷問の効果が本質的に継続的である点に鑑み、被害者が受けるべき救済、賠償、リハビリテーションを奪うため、時効は適用されるべきでないことを想起する。
(c) 関連の諸事実および資料の隠ぺい、または公開を怠ったこと
(d) 複数の国会議員を含む国および地方の、高い地位の公人や政治家による、事実の公的な否定や被害者に再び心的外傷を負わせることが継続していること
(e) とりわけ歴史教科書でこの問題に関する記述が減少していることにみられるように、ジェンダーに基づく条約違反を防止するための効果的な教育的施策を実施するのを怠ったこと
(f) 本委員会の勧告や、その他の多くの国連人権機関、とりわけ自由権規約委員会、女性差別撤廃委員会、社会権規約委員会、人権理事会から委任を受けた複数の特別手続などによる諸勧告と類似のものであるところの、この問題に関連してUPR(国連「普遍的定期的審査」)の文脈でなされた複数の勧告を、締約国が拒絶(A/HRC/22/14/Add.1, paras.147.145 et seq.)していること。
本委員会一般勧告第3号を想起しつつ、本委員会は締約国に対し、即時かつ効果的な立法的および行政的措置をとり、「慰安婦」の諸問題について被害者中心の解決策をとるよう強く求める。特に:
(a) 性奴隷制の諸犯罪について法的責任を公に認め、加害者を訴追し、適切な刑をもって処罰すること
(b) 政府当局者や公的な人物による事実の否定、およびそのような繰り返される否定によって被害者に再び心的外傷を与える動きに反駁すること
(c) 関連する資料を公開し、事実を徹底的に調査すること
(d) 被害者の救済を受ける権利を確認し、それに基づき、賠償、満足、できる限り十分なリハビリテーションを行うための手段を含む十全で効果的な救済と補償を行うこと
(e) 本条約の下での締約国の責務に対するさらなる侵害がなされないよう予防する手段として、この問題について公衆を教育し、あらゆる歴史教科書にこれらの事件を含めること。
■ 人種差別撤廃委員会 総括所見(2014年)
「慰安婦」
18.委員会は、締約国の代表団から提供された、第二次世界大戦中に日本軍により性的に搾取された外国の「慰安婦」の問題解決のために行われた努力に関する情報に留意する。委員会はまた、1995年に締約国が設立したアジア女性基金を通して提供された補償と、2001 年の日本の首相の謝罪を含む政府の謝罪の表明に関する情報に留意する。生存する「慰安婦」に対する人権侵害は、彼女たちの正義および賠償の権利が完全に実現されない限り続くことを踏まえ、委員会は、大半の「慰安婦」が認知、謝罪、ないしはいかなる種類の補償も受けたことがないという報告に懸念する(第2条と第5条)。
委員会は締約国が以下のために即時の行動をとるよう促す:
(a) 日本軍による「慰安婦」の権利の侵害に関する調査の結論を出し、人権侵害に責任のある者たち を裁くこと、
(b) すべての生存する「慰安婦」あるいは彼女たちの家族に対する誠実な謝罪の表明と適切な賠償の 提供を含み、「慰安婦」問題の包括的で、公平で、永続的な解決を追求すること、そして、
(c) それら出来事の中傷あるいは否定のあらゆる試みを非難すること。
各国議会が日本政府に対しておこなった決議を一部掲載します。(同時期の決議にオランダ、カナダ、韓国、台湾の国会決議があります。)
■慰安婦に関する欧州議会の決議(2007年)
欧州議会は、
2007年を持って迎える奴隷貿易廃止200周年を尊重し、
日本も署名した婦人及児童の売買禁止に関する国際条約(1921)を尊重し、
日本が批准したILO強制労働禁止条約29号条約(1930)を尊重し、
女性と平和及び安全保障に関する国際連合安全保障理事会決議1325(2000)を尊重し、
武力紛争時の組織的なレイプ、性奴隷制と類似の慣行に関する国連特別報告者ゲイ・マクドゥーガルによる報告(1998年6月22日)を尊重し、
第38回国連拷問禁止委員会(2007年5月9日、10日)の結論と勧告を尊重し
ハーグの日本占領下オランダ領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府文書調査報告(2004)を尊重し、
2007年7月30日に採択された米国議会の決議と、2007年11月29日に採択されたカナダ議会の決議を尊重し、
手続き規則の規則115を尊重し、
A.1930年代から第二次世界大戦終了までのアジアと太平洋諸島の植民地及び戦時占領地において、日本政府はIanfuないしは‘慰安婦’として世界に知られることとなる若い女性たちを帝国軍の性奴隷にするためだけの目的で公務として徴用し、
B. ‘慰安婦’制度は輪姦、強制堕胎、屈辱及び性暴力を含み、障害、死や自殺を結果し、20世紀の人身売買の最も大きなケースのひとつであり、
C. 日本の裁判所に持ち込まれた多数の‘慰安婦’訴訟では、皇軍の直接・間接の関与を裁判所が認めながらも、原告による補償請求はその全てにおいて却下に終わり、
D. ‘慰安婦’制度の被害者のほとんどはすでに故人であり、生存者は80歳以上であり、
E. この数年の間に、多数の日本政府の高官や公人が‘慰安婦’制度に関する謝罪の声明を発表した一方、日本の公人の幾人かはそれらの声明を希薄化したり無効化させようという遺憾な願望を最近になって表明し、
F. 日本政府はその性奴隷制度の全貌をすべて明らかにしたことはなく、日本の学校で使用される教科書は、‘慰安婦’の悲劇やその他の第二次世界大戦中の日本の戦争犯罪を最小化しようと試み、
G. 政府によって開始された民間財団であり、‘慰安婦’の虐待と痛みを償うためのプログラムやプロジェクトを実施する役割を持つアジア女性基金の権限は、2007年3月31日をもって終了し、
1. 多党制民主主義、法の支配、人権の尊重などの価値を相互共有することに基づく欧州連合と日本の間のすばらしい関係を歓迎し、
2. 第二次世界大戦中の'慰安婦'制度の被害者である女性たちと連帯することを表明し、
3. 1993年の河野洋平内閣官房長官並びに1994年の村山富一首相による‘慰安婦’に関する声明、また1995年と2005年の'慰安婦'制度の被害者を含む戦時被害者に対する謝罪を表明した日本の国会の決議を歓迎し、
4. 日本政府によって1995年によって設立され、今は解散している、そのほとんどの資金が政府によるものである民間財団であるアジア女性基金が、‘償い金’を数百人の‘慰安婦’に配ったことを歓迎するが、しかしこの人道的措置は被害者たちの法的な認知と、公的な国際法による賠償への請求を満たすものではないとする女性に対する暴力に関する国連特別報告者ゲイ・マクドゥーガルが1998年の報告で述べた内容を考慮し、
5. 1930年代から第二次世界大戦終了までのアジアと太平洋諸島の植民地及び戦時占領地において、世界に‘慰安婦’として知られる、皇軍による若い女性を強制的に性的奴隷状態においた行為を、日本政府は明確かつあいまいなところのないやり方で、公式に認知、謝罪、そして歴史的、法的な責任を受け入れることを勧告し、
6. 生存している全ての'慰安婦'制度の被害者及び死亡した被害者の家族に対する賠償を行うための効果的な行政機構を日本政府が設置すべきことを勧告し、
7. 日本の国会は、日本の裁判所が賠償命令を下すための障害を取り除くべく法的措置を講じることを勧告し、特に個人が政府に賠償を求める権利は国内法において至急実現されるべきであり、国際法で犯罪である性奴隷制の生存者に対する賠償請求裁判は、生存者の年齢を考慮すれば優先されるべきであり、
8. 日本政府は、‘慰安婦’を服従させ隷属させたことは一度もなかった、といった意見に対して公的に反論することを勧告し、
9. 日本の人々と政府に対して、全国家の道徳的義務であるので自国の歴史を全て認識すること、そして‘慰安婦’に関連することを含め1930年代から1940年代にかけての日本の行為を認識するために、さらなるステップを踏むことを奨励し、
日本政府にこれらの事例を現在及び未来の世代に教育することを勧告し、
1. 欧州議会議長に、この決議を日本政府と議会、国連人権委員会、ASEAN諸国の政府、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国、中華人民共和国、台湾、東ティモール民主共和国、及び欧州理事会、欧州委員会とEU加盟国に送付するように指示する。
■ 米下院決議(2007年)
日本政府は、1930年代から第二次大戦継続中のアジアと太平洋諸島の植民支配および戦時占領の期間において、日本軍への性的隷属というただそれだけの目的のために、やがて世界に「慰安婦」として知られるようになった若い女性たちの確保を公的に行なったものであり、
日本政府による強制軍事売春たる「慰安婦」制度は、その残酷さと規模において前例を見ないものとされるものであるが、集団強かん、強制中絶、屈従、またやがて身体切除、死や結果的自殺に至る性暴力を含む、20世紀でも最大の人身取引事件の一つであり、
日本の学校で使用されている新しい教科書には「慰安婦」の悲劇その他第二次世界大戦中の日本の戦争犯罪を軽視しようとするものがあり、
日本の公人私人が最近になって、「慰安婦」の苦労に対し日本政府の真摯な謝罪と後悔【「お詫びと反省」】を表明した1993年の河野洋平内閣官房長官の「慰安婦」に関する声明を、弱めあるいは撤回する欲求を表明しており、
日本政府は1921年の「婦人及児童ノ売買禁止ニ関する国際条約」に署名しており、また武力紛争が女性に与える特徴的影響を認めた2000安保理の「女性、平和と安全保障に関する決議1325号に賛成票を投じたものであり、
下院は人間の安全保障、人権、民主主義的価値観および法の支配を促進しようと する日本の努力を、安保理決議1325号支持国となったこととともに賞賛するものであり、
日米の同盟関係は米国のアジア太平洋地域における安全保障の関心事の柱石のひとつであり、地域的安定・繁栄にとって基礎的であり、
冷戦後の戦略的展望における変化に関わらず、日米同盟は、政治的経済的自由の保護促進、人権・民主主義機構の支援、両国ならびに国際社会の人々のため繁栄を確保することなど、【両国】共通の、アジア太平洋地域における肝要な利益と価値に基づくものであり続けるものであり、
下院は、民間基金たるアジア女性基金の1995年設立をもたらした日本の公人と民間人の勤労と情熱を賞賛し、アジア女性基金が日本の人々からの「償い」を慰安婦に届けるべく5700万ドルの寄付金を集めたものであり、政府によって着手され資金の多くを政府に負う民間基金であり、「慰安婦」の虐待と苦労に対する償いのためのプログラムやプロジェクトを実行することが目的であったところのアジア女性基金の任務が、2007年3月31日をもって終了し、基金が同日をもって解散することから、
今や以下の形が下院の認識である。
(1)日本政府は、1930年代から第二次大戦継続中のアジアと太平洋諸島の植民支配および戦時占領の期間において、世界に「慰安婦」として知られるようになった若い女性たちに対し日本軍が性奴隷制を強制したことについて、明瞭かつあいまいさをとどめない形で公的に認め、謝罪し、歴史的責任を受け入れるべきである。
(2)日本政府は、もし日本の首相がそのような謝罪を、首相としての資格で公式声明として発表すべきとするならば、これまでの声明/談話の真摯さと位置づけについて繰り返される疑問に、決着をつけるようにするであろう。
(3)日本政府は、日本軍のための「慰安婦」の性奴隷化と人身取引はなかったとする如何なる主張に対しても、明確かつ公的に反駁すべきである。
(4)日本政府は、現在および未来の世代に対しこの恐るべき犯罪について教育し、「慰安婦」に関わる国際社会の数々の勧告に従うべきである。
2015/09/16
橋下市長の「慰安婦」問題をめぐるサンフランシスコ市議会への公開書簡に抗議する
みなさま橋下市長が8月27日にサンフランシスコ市議会あてに公開書簡を送ったことは、すでにお知らせしたとおりです。
その内容は以下の大阪市HPで紹介されています。
あまりにひどい内容で、看過できないと考え、関西ネットとして抗議文を書きました。
ぜひお読みください。
大阪の姉妹都市であるサンフランシスコ市において、かつての戦争で犠牲となった「慰安婦」被害者を記憶し、再び繰り返させないための「慰安婦」碑の建設を進める市民の動きがあります。それに対して日本から「なでしこアクション」ら「日本の戦争犯罪の汚名を晴らし尊厳を取り戻す」ことを目的とするグループが米国内議会に押しかけ、日系コミュニティの分断を図るなどの卑劣な行為も行われています。
こうした動きに同調するかのように、橋下市長も8月27日付でサンフランシスコ市議会あて公開書簡を送りました。その内容は橋下市長のこれまでの発言、すなわち、「慰安婦という人たちが軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられたという証拠はない」(2012年)、「(戦場で)精神的にも高ぶっている猛者集団を休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」(2013年)などに沿ったもので、自らの歴史認識と「慰安婦」問題に対する歪んだ主張を披歴したものです。
書簡では、記念碑は旧日本軍による「慰安婦」問題だけでなく、「世界各国の軍」によって性の対象とされたすべての女性に対するものでなければならないと述べられています。橋下市長はこれまでも「どこの国にもあった」「なぜ日本だけが言われるのか。アンフェアだ」との発言を繰り返しています。自ら「過去と現在を直視すること」の必要性を訴えながら、日本が行った加害の歴史を直視する気はまったくないようです。
「慰安婦」問題が国際社から注目され、日本政府に早急な対応が求められている理由は三つあります。ひとつは、まさに慰安婦制度は立案から募集、設置、管理に至るまで、すべて旧日本軍の責任の下で行われたという点で、日本政府がその責任から逃れることはできないということ。もうひとつは被害者が自ら名乗り出て証言していることです。勇気をもって日本軍による性暴力を告発した数多くの被害者に対し、その事実を認め、直ちに尊厳の回復措置を行うのは当然のことです。三つ目に、日本政府は24年間、被害者の訴えに正面から向き合ってこなかったばかりか、安倍首相、橋下市長をはじめとして、事実を歪曲し、被害者を貶める発言が後を絶ちません。そのことに国際社会は大きな懸念をもち、各国決議や国際人権委員会での勧告につながっています。
橋下市長は「慰安婦」問題は「日韓条約」をもって解決済みであり、韓国政府が今になって「人道に対する罪でもない慰安婦問題を、まるでそうであるかのように巧みに論理展開」していると非難しますが、日韓条約が結ばれた1960年代、存在すら明らかにされていなかった「慰安婦」問題を解決したとみなすことはできません。
また、「国民基金で各国の実情に合わせて解決を図った」というのも事実に反しています。実際は限られた地域を対象に、しかも、被害者の意向を聴くこともなく行われた事業をもって「解決済み」とすることは不可能であり、国際社会も「日韓条約」「国民基金」で解決したとは認めてはいません。
橋下市長は「慰安婦」碑に旧日本軍の行為が刻まれ、広く報道されることによって、世界の人々にこの問題が日本軍による特異事例として非難されることを危惧しているようです。
残念ながら日本軍が進軍するあらゆる場所に朝鮮人女性らを「慰安婦」として連れ歩き、あるいは現地の少女や女性たちを慰安所に閉じ込めて性奴隷としたことは紛れもない事実です。日本軍が行った行為を立証する証拠資料や証言は数多くありますが、1993年の「河野談話」以降、政府は一切の調査を行わず、民間による調査・研究で明らかにされた証拠資料を提出しても収集・検証作業さえ行わず、放置しているのが現状です。
書簡は「女性の尊厳と人権が戦場においても守られる世界をめざす」「女性の人権が尊重される世界を」と繰り返していますが、「慰安婦」被害者が日本政府による解決を求めて今まさに訴えているときに、これを否定し続ける姿勢こそが被害者の尊厳を踏みにじる再度の暴力にほかなりません。
書簡は最後に、過去の過ちを直視し、犠牲者に思いをはせることで同じ過ちをくりかえさず、次世代の若者がともに協力しあえる環境作りを提唱していますが、そうであるならまずもって歴史的事実を記録し、教育を通じて伝える役割があるはずです。しかし、現実には「慰安婦」問題をはじめ、加害の事実を記述せず、戦争賛美と差別・排外を基調とする育鵬社版教科書の採択が大阪府下で突出していることをどう説明するのでしょうか。
橋下市長はサンフランシスコ市民らによる、被害者の勇気を記憶し、再び繰り返させないための行動にこそ賛意を示し、自らも被害者の声に耳を傾けるべきではないでしょうか。
私たちは橋下市長に以下のことを求めます。
1、「慰安婦」碑をめぐり、サンフランシスコ市議会への圧力を直ちに止めること。
1、「慰安婦」被害者への数々の暴言、歴史の否定について発言を撤回し、謝罪すること。
1、公人としてあるまじき女性蔑視発言を繰り返し、大阪の文化や民主主義を壊した責任
を取って直ちに辞任すること。