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いっしょにふぇすた2017

今日は港区民センターにて「いっしょにふぇすた2017」が開催され、関西ネットも舞台の上からパウィチョロムを踊ってカードセクションを披露し、日韓合意の不当性を訴えました。ブースでは被害者たちの声や釜山の少女像をめぐる問題点を展示するほか、海苔巻き(キ厶パッ)や薬飯(ヤッパッ)、柚子茶などを販売し、多くの市民と交流しました。

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『戦争する国』はゴメンだ!今、教育に問われるもの2・11集会

今日は建国記念の日。

『戦争する国』はゴメンだ!今、教育に問われるもの2・11集会に参加しました。オリンピック開催を控え、それを契機に愛国心教育が進められようという実態が報告され、また卒業式・入学式の「君が代」斉唱時に不起立を貫き裁判闘争を闘っている教職員の方々の闘いの報告がありました。

関西ネットも賛同団体として連帯のアピールを行い、日韓合意の不当性と、吉村大阪市長に抗議文を届けてきたことを報告しました。また会場ではブースを出して物販する一方、パネルを掲示し、日韓合意と釜山少女像をめぐる問題での日本政府の対応を強く批判しました。(だい)

[韓国状況報告]韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)尹美香常任代表の発言(2017年1月14日-15日)

http://www.restoringhonor1000.info/2017/02/2017114-15.html?m=1

関西ネットも参加する日本軍「慰安婦」問題解決全国行動は2017年1月14、15の両日、東京で全国会議を開きました。これに韓国から参加した、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)尹美香常任代表が以下のような韓国状況報告をしました。非公開会議での発言ですが、韓国の状況がよく分かるものなので、本人の許可を得て公表することにしました。

ぜひお読みください。

「阿嬤の家-平和と女性人権館」(AMA Museum)開幕式

12月10日午前、台北で「阿嬤の家-平和と女性人権館」(アマ・ミュージアム)の開幕式がありました。博物館のすぐ近くの公園に、文化部長をはじめ、たくさんの国会議員や婦援会の代表、それに陳蓮花アマなどたくさんの列席がありました。また私たち日本の支援者をはじめ、各国から60人もの参加がありました。

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(模型を前にテープカット)
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(お話しする陳蓮花アマと李容洙ハルモニ)

本当に紹介したいたくさんの挨拶があったのですが、日本の参加者としてもっとも心に残った柴洋子さん(台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会)の発言をここで紹介します。柴さんの発言は、日本から開幕式に駆けつけた私たちの気持ちと全く同じです。

「アマたちは99年に日本政府に謝罪と補償を求めて提訴したが、それまで名前を公表することもためらっていたアマたちが、なぜ裁判をおこすようになったのかとビックリしたことを覚えている。私たちは裁判闘争を支援するために会を立ち上げたが、裁判闘争を通じてアマと親しくなるなかで、アマたちの心の穏やかさや強さを知りました。台湾の「慰安婦」裁判は他の裁判が敗訴するなかでの提訴でした。そして結果は、フィリピンの裁判と同じく、事実認定もされないという血も涙もない判決でした。陳桃アマは、負けてもなおまだ闘うと言っていましたが。
婦援会のワークショップにも参加させてもらうなかで、アマたちの心の変化、裁判に至る変化を知りました。これは本当に婦援会の被害者の気持ちに寄り添う働きがあったからこそです。
日本政府はアマたちを無視していますが、アマを記録し記憶するミュージアムができ、これで記録と記憶に残されることになります。
日本は情けない状況にありますが、諦めることなく、日本政府に謝罪と補償を求めていきます。」

近くのカフェで昼食を採り、午後から博物館を見学しました。
博物館は台北の中でも古い街並みが特徴的で観光スポットでもある迪化街にあります。建物の壁面は被害者たちの象徴である葦の絵が銅板に打ち貫かれていて、。京都の町屋のような細長い建物の入り口はカフェになっており、訪れた人がゆっくり休憩できるようにもなっています。
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そしてカフェの奥に入ると、アマたちの被害体験や、名乗り出てからの闘いの記録が展示されています。特に台湾については、日本軍「慰安婦」を中国大陸や海南島、東南アジアへ連行した際の台湾総督府の関与がかなり明らかになっており、それらの資料も展示されています。
そしてなによりも胸を打つのは、婦援会のワークショップでアマたちが作った作品の数々です。アマたちの最晩年を描いたドキュメンタリー映画『蘆葦の歌』でも描かれていますが、婦援会はアマたちに絵画を書くことや写真を撮ること、またなりたかった自分を体験してもらうなど、様々なワークショップを通じてアマたちに自分の内面と向きあってもらい、被害回復を実現してきました。ここまで専門的で深い取り組みは、他の支援組織ではなかなか実現できませんでした。そしてそんなアマたちの自己表現を通じて、私たちはアマがどれだけ苦しい思いをしてきて、どのような葛藤を戦後も抱えてきて、立ち上がるためにどれだけ勇気を振り絞らなければならなかったか、私たちは知ることができました。どれだけ日本軍がアマたちに回復しがたい傷を残したかも。
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アマたちの作品は彼女たちの尊厳回復への道のりであり、人類の遺産といってもいいものだと思います。今は亡きアマたちが心と向きあった作品群を前にすると、そこにアマたちがいることを感じます。日本政府がどれだけ彼女たちをなき者にしようとも、世界記録遺産に認められることを邪魔しようとも、彼女たちは確かに存在したし、彼女たちが亡くなった後も彼女たちが存在したという事実は日本政府を告発することを止めません。
2階の廊下にはたくさんのライトが天から降り注いでいます。手をかざすと、亡くなられた被害者たちの名前がそこに刻まれていることがわかります。台湾で名乗り出た被害者は59人。59人の名前が私たちの掌に握られ、私たちが何をすべきかを教えてくれます。
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「阿嬤の家-平和と女性人権館」はアマたちが生きてきた証しを今に遺す博物館です。そして今も私たちの心の内に生き、私たちに闘う理由を教えてくれる博物館です。
婦援会の康淑華執行委員長は、博物館建設の苦労についてこう語っていました。
「足掛け12年、アマたちの『いのちの物語』を保存できる場所が必要でした。政府は実現を約束してくれましたが、様々な条件で挫折し、台湾で初の民間の基金による人権博物館を作ることになりました。最大の課題は資金調達でした。あと1000万元(約3500万円)ほど足りません」
今回博物館は無事開館できましたが、資金面での課題をまだ抱えています。本来このような博物館は日本にこそ必要なのに、日本で唯一の「慰安婦」博物館であるwamは右翼から脅迫されるような今の日本の状況です。 
関西ネットでもアマ・ミュージアム建設支援を行いましたが、博物館を支えるための取り組みを今後も続けたいと思いますし、みなさまもアマ・ミュージアムへの支援をお願いします。
そしてぜひ、みなさんもアマ・ミュージアムを訪ねてみてください。アマたちの存在を感じ取り、日韓「合意」後の最悪の日本社会の状況にあってなにをするべきか、ともに考え、行動しましょう。

(だい)

「阿嬤の家-平和と女性人権館」(AMA Museum)レセプション

12月10日、台湾の台北で「阿嬤の家ー平和と女性人権館」(AMA Museum)の開幕式があり、前日の9日にはレセプションが開催されました。多くの日本の支援者の他にも、韓国、中国、アメリカから支援者がやって来て、とても彩りのある雰囲気に包まれました。

博物館建設には足掛け12年かかったそうで明日の開幕に至るまで様々な紆余曲折があったようです

日本軍「慰安婦」問題の博物館ができるのは、台湾ではこれがはじめて。韓国や中国には複数あり、日本では唯一wamがその役割を果たしています。

各国からの挨拶のなかで、心に残る話はいくつかあったのですが、婦女救援基金会の康淑華さんが、今回の博物館の場所を制定するにあたって教育を重視するように心がけたと話されていたのが、特に心に残りました。博物館は観光客や若い人が多く訪れる場所にあり、グッズ販売などに力をいれ、また映像の機能を強化することで若い人にも伝えていく努力をするそうです。韓国でも同じような取り組みがなされています。

婦援会には若いスタッフがたくさんいます。しかし日本では教科書に記述されていないこともあり、若い世代への継承がうまくいっているとは言えません。被害者の高齢化が進み、今どこの国でも記憶と記録の継承が問題になっていますが、日本では台湾以上に記憶の継承が必要です。先述したように日本ではwamが博物館としての役割を担っていますが、いまや爆破予告が送られてくるような、あまりにもひどい日本の現状です。

明日は「阿嬤の家」に赴きます。台湾での取り組みを学び、日本での活動にいかしていきたいと思います。

野崎の「慰安婦」碑

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11月13日、関西ネットのメンバーで大東市野崎にある「慰安婦」の碑を見に行きました。生駒の麓にある野崎は、野崎観音で有名な古い信仰の町で、その碑は大阪の街を望む生駒の斜面にありました。資料によると建立は1977年。施主は石田龍雲という人で、協賛者芳名として3人の韓国人の名と3人の日本人の名が刻ませていますが、建立に至る経緯はよくわかっていません。
碑の中央に赤十字のマークと共に「大東亜戦没 日韓看護婦 慰霊の碑」とあり、その下には龍雲の手によるものと思われる「いくさ人/いたわり助け/育みし看護の労い/を/永遠に称えぬ」という言葉が刻まれています。
これだけだと「慰安婦」のことを指しているのかはわかりませんが、碑の裏側にはこう刻まれているそうです。(今では文字が消えかけて、読むことはできません。)
「大東亜戦争三十三回忌を迎えて
この碑は大東亜戦没朝鮮処女 女子挺身隊七万余人
日本看護婦二万余人
計九万余人の尊き英霊を祭るために建立す
心ある人々の参拝を心を罩めて願う」
この言葉も施主、龍雲によるものです。
「称える」
「尊き英霊を祭る」
これは一体何のことでしょうか?
一体誰を称え祭るというのでしょうか?
これを建立した石田龍雲さんは、それなりの人物なのだと思います。おそらく戦争体験もあって、その悲惨を知り尽くし、戦場にいた女性たちにもかなりの思い入れと親近感があったのだと思います。
良心的な日本人男性なのだと思います。
でも称えたり祭ったりするのは、あくまでも日本人の男性目線。
ペボンギさんが名乗り出た数年後に建立された碑。当時の時代感覚では当然の感覚だったのでしょう。ペボンギさんは最初、「友軍(日本軍)が負けて悔しいさ」と言っていたそうです。同志的感覚。
でも自分の体験を他人に話す過程で自分が被害者なのだと、自分が悪いわけではなかったのだと気づくのです。
この碑は、歴史に見捨てられた同志である「慰安婦」を顕彰しようというものです。靖国に顕彰されるかのように。それは同志であり、そして男どもには確かに同志だった。自分が戦争の犠牲者であると同じ意味において、彼女たちも被害者だった。
でも、彼女たちは同志ではありません。日本兵に凌辱された被害者です。
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彼女たちも錯覚することはある。でもそれは自分が性奴隷だと気付かない限りにおいてでしかありません。自分が被害者であると気づき、日本政府を相手取って闘ったハルモニたちの姿はどこにもありません。ハルモニたちを凌辱したという加害者感覚が、どこにもありません。
ハルモニたちが同志と思うのはいい。でも日本人の男性が同志と思うのは、醜悪でしかありません。
国内にある「慰安婦」に関する碑は6つ。そのうち金学順さんが名乗り出た1991年より前に建てられたのは3つ。そのうちのひとつが、かにたの村にある、自身が「慰安婦」被害者だった城田すず子さんが建てた碑で、残り2つがこの野崎の碑と、千葉県鴨川市にある「名もなき女の碑」です。この「名もなき女の碑」と、今日訪ねた野崎の碑は、視点が驚くほど似ています。靖国に祀られない女性たちを哀れに思い、顕彰しようというもの。
女性たちにはあなたに称えられたり祭られたりする存在でしたか?
こういう加害者感覚のない良心が、日韓「合意」を許し、朴裕河を持ち上げる感覚につながっているのだと思います。
私たちに必要なのは、このような碑ではありません。ソウル大使館前にある平和の碑(少女像)のような碑が必要なのです。
今の時代は、野崎の碑が建てられたのは時代よりも身体性を喪い、言葉も軽くなり、最悪の状況です。そんな社会の中にあっても、私たちは平和の碑(少女像)を求めたいと思います。
(だい)

「朝鮮学校高校無償化全国一斉行動全国集会」に参加して

今日2月13日は大淀コミュニティセンターで開催された「朝鮮学校高校無償化全国一斉行動全国集会」に参加しました。会場は満席で、とても盛況でした。高校無償化制度から除外されて5年。学校関係、保護者、同胞はもとより、多くの日本人、そして韓国にまで運動は拡がっています。
今日は全国から人が集まり、裁判支援や活動の報告がありました。
日本軍「慰安婦」問題との関連でいえば、私たちが韓国からお招きした吉元玉ハルモニも金福童ハルモニも、日本政府の差別政策に憤り、朝鮮学校支援を証明しておられます。吉元玉ハルモニは自分自身が教育を受けられなかったからこのような人生になったのだと嘆き、朝鮮人が朝鮮人として教育を受けられないのはおかしい、未来のために子どもたちに教育を保障しなければならないと常々訴えておられます。
民族として教育を受ける権利は、保障されなければなりません。ましてや植民地支配に原因があるならなおさらのことです。
朝鮮学校に通う学生からは、
「民族教育で自身のアイディンティティを育んだ。来年から朝鮮大学校に進み、将来は民族教育を担いたい」
「いつまでこの理不尽が続くのか。これまで日本社会の冷ややかさを何度も感じてきたが、その都度支援する人たちに助けられた」
「在日朝鮮人と日本人の真の未来のために私は闘う!」
なとど、力強いアピールが相次ぎました。
また、韓国の市民団体「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」共同代表の孫美姫さんは、挨拶の時間の大半をかけて、日本軍「慰安婦」問題にかかる日韓「合意」を批判し、韓国で起こっている闘いを紹介しました。それは韓国でも、日本軍「慰安婦」被害者の苦しみと朝鮮学校に向けられている差別が同じ根の問題~植民地支配と分断~として捉えられているということでもあり、目を見開かされる思いでした。
私たちのテーマは日本軍「慰安婦」問題の解決ですが、ハルモニたちの望む世界を実現するためにも、この課題にも向かい合っていかなければと、改めて思いました。(だい)

「『建国記念の日』反対!『日の丸・君が代』処分撤回! 戦争のための教育を許さない!2・11集会」に参加して


今日は、港区民センターにて「『建国記念の日』反対!『日の丸・君が代』処分撤回! 戦争のための教育を許さない!2・11集会」に参加しました。
戦争法が制定・施行され、憲法違反の戦争法に合致させるように「9条改憲」を、選挙前のこの時期に安倍首相が口にするという情勢の中、どう闘いを進めるのかみんなで考え合う切迫感にあふれた集会になりました。
抵抗の切り札としての民主主義をどう我が物にし、闘い、守っていくか。その回答としてのひとつとして、パネルディスカッションの中でパネラーの口から出た
「あえて『空気』読まない!」
という一言は、とても皆の共感を得たように思います。
関西ネットとしても関係団体としてブースをだし、舞台でもアピールしました。
「この『合意』で本当に解決したのか?パククネに謝罪してすむのか?10億円で韓国政府に『名誉回復』事業をさせたところで、日本政府の責任を果たしたことにはならない。ましてや被害者は韓国だけではない。『慰安婦』問題は日韓の外交問題ではない。
今後、この『合意』の不当性と、日本軍『慰安婦』問題がなんであるのかということを、日本社会に知らせていきたい。」
日韓「合意」で、マスコミも多くの政党も賛意を示す中、私たちもあえて日本社会の「空気」は読みません。被害者とともに闘い続けます。(だい)

ヒマンナビ(希望の蝶) 「日本平和紀行」元気に進行しています。

1月31日に関西空港に降り立ったヒマンナビ一行は、立命館大学平和ミュージアム見学、耳塚参拝、龍谷大学訪問、在日同胞との交流等の日程を無事に過ごしています。2月3日は火曜行動に参加。そして4日はいよいよ大阪駅前水曜デモに参加してくれます。日本に来るために準備した、うたやダンスなど多彩なパフォーマンスを楽しみになさってください。10635954_777002069048902_5815037281501200262_n.jpg
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第45回 釜ヶ崎越冬闘争で「ともに行こうこの道を」 熱唱 

12月28日  第45回釜ヶ崎越冬闘争に関西ネットメンバーで参加しました。昨年の越冬、そして夏祭りに続き、関西ネットとしては今回で3回目の釜ヶ崎三角公園でのステージです。
あいにく夕刻から雨になりましたが、三角公園にはパチパチとたき火が焚かれ、ステージには屋根もきちんと作られて、準備ばっちり。
6時からの開会アピールのあと、突入集会の最初のステージで 「水曜デモのうた」「アピール」「ともに行こうこの道を」「岩のように」歌ったり踊ったり。ステージの前でも、音楽にあわせて踊ってくださる人たちもいます。今回選んだ「ともに行こうこの道を」は困難な運動の状況も、なかまたちがいるからこそ超えてゆけるという内容の歌詞です。
開会アピールの「安心、安全に暮らせる釜を」そして「安心、安全に暮らせる社会を」という言葉に心から賛同し、平和が脅かされるこの社会状況をこれ以上許してはならないことを、1人ひとりの心に確認しあいながら、釜ヶ崎の越冬闘争の第一夜は更けていきました。(よんよん)釜越冬2014
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日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク

Author:日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
わたしたちは日本軍「慰安婦」問題解決のため、関西を中心に活動しています。

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