■プロフィール

日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク

Author:日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
わたしたちは日本軍「慰安婦」問題解決のため、関西を中心に活動しています。

■最新記事
■リンク
■月別アーカイブ
■カテゴリ
■カウンター

■検索フォーム

■QRコード

QR

【追悼】キム・ヨニハルモニ
みなさま

韓国挺対協より、つい先ほどハルモニが亡くなられたとの報が届きました。

キム・ヨニハルモニはその経歴によると、わずか12歳で勤労挺身隊として日本に連れてこられ、働かされた上、
慰安婦にさせられたとのことです。
精神を病むほどの過酷な体験によって、戦後も言葉に言い尽くせない苦難の人生を送られたようです。

立て続けの訃報に言葉もありませんが、家族や支援者の人々の衝撃と悲しみはどれほどでしょうか。

ご冥福を祈るとともに、一日も早くすべての被害者の尊厳の回復がなされるよう、私たちにできる行動していきましょう。

(P)

************

皆さま

日本軍「慰安婦」被害者であるキム・ヨニハルモニが
6月24日夜10時ごろに亡くなられました。

キム・ヨニハルモニの証言による被害状況は以下のとおりです。

1932年にテグで生まれ5歳でソウルに引越。
ソウルの国民学校(小学校)5年生在学中の1944年に
日本人校長によって日本に送られました。
父が独立運動をして中国に行ったことが不利になり送られたとのことです。

ハルモニは下関を経て富山県の飛行場付属工場で約9ヶ月働かされた後
青森県の慰安所に連行され
そこで7ヶ月間慰安婦生活を強いられました。

解放を迎え船に乗ってソウルにもどってからは
慰安所での記憶の後遺症により精神病院で治療を受けました。
その後ハルモニは結婚せずに家政婦で生計を立て暮らしました。

キム・ヨニハルモニが亡くなり
日本軍「慰安婦」生存者は49人になりました。
6月だけですでに3人がこの世を去られました。
本当に時間がないと実感します。
一日も早くハルモニたちが苦痛をふりはらい余生を安らかに過ごせるよう
日本軍「慰安婦」問題解決に多くの関心と連帯をお願いします。

韓国挺身隊問題対策協議会


スポンサーサイト
訃報 | 12:24:57
『“記憶”と生きる 元「慰安婦」姜徳景の生涯』土井敏邦(大月書店)

関西でも近々、同名のドキュメンタリー映画が公開されるが、映画を観る前に何としても読んでおきたかった。
姜徳景ハルモニは金学順ハルモニに並んで、多くの人々の心に刻み込まれている日本軍「慰安婦」被害者だ。その小さ身体から発せられる怒りの言葉は、私たちの胸を貫いたし、たくさんの絵画、特に昭和天皇の処刑を描いた「責任者を処罰せよ」は、多くの日本人に責任者処罰の重要さと戦争責任のなんたるかを教えてくれた。そして、今際の際にあっても「私たちは死なない。日本政府が私たちを強くした。最後まで日本政府と闘い抜かないと」と語り、私たちに決意と覚悟を残した。
そんな姜徳景ハルモニの人生がどんなものであったのかを、私は知らなかった。もちろん証言を読んで、過去に受けた被害についてどのようなものであったのかは知っていた。富山の不二越に女子勤労挺身隊として強制動員され、重労働に耐えかねて脱走。2度目の脱走で憲兵と思わしき男に捕まり強姦、そのまま松代と推測される慰安所に監禁された。また、ナヌムの家に移る前に暮らしていたという農園の、想像を絶する物置小屋のような住まいも、映像で観たことはあった。でも、その人生全体、特に被害を受けてからの「戦後・解放後」についてはほとんど知らなかった。
帰国までの生活、妊娠・出産と子どもの死、加害男性に対する心情の揺らぎ、転々とする仕事、恋愛・結婚観、誰にも語られることのなかった男性のこと、酒浸りの日々、自暴自棄……。それらは多くの被害者に共通する人生でもありながら、姜徳景ハルモニ固有の具体的な体験でもある。そしてそれが具体的であればあるほど、私たちは被害者に共感し、その人が「特別」になる。
私にとっては裵奉奇さんと宋神道さんが「特別」で、それは在日一世のハルモニだからだと思っていた。多分それはそれでその通りなのだろう。でもこの本を読み進めるうちに、姜徳景ハルモニが「特別」になってゆくのに気づかされ、我ながら少々驚いた。
裵奉奇さんと宋神道さんは川田文子さんという書き手=フィルターを通じて私の忘れられない記憶となったように、土井敏邦さんというフィルターを通じて、やはり忘れられない記憶へと変わっていった。
実は本を読む前は、「“記憶”と生きる」とは、土井敏邦さんの個人的な思いだと思っていた。でもこの本を読むことで、姜徳景ハルモニが「特別」に変わっていくことに気づいて、私たち誰もが「“記憶”と生きる」ことができるのだと気付かされた。もちろん読み手の関心や感性にも左右されるとは思うけれど、それでも土井さんというフィルターを通じて私たちも「“記憶”と生きる」ことは可能なのだ。少なくとも私は姜徳景ハルモニの「“記憶”と生きる」ことを決意している。
いま、私は、姜徳景ハルモニの人生ひとつひとつを思い返し、噛みしめている。男性の私の拙い想像力では及ばないだろうけれど、それでもそれをやめようとは思わない。そして姜徳景ハルモニの最期の言葉を思い起こす。
「私たちは死なない」
姜徳景ハルモニが亡くなられて18年。でも私たちが謝罪と賠償を、真の解決を諦めない限り、ハルモニは亡くならない。記憶と共に、生き続ける。
そう信じて、戦後70年の今年の夏を闘おうと思う。

(補足)この企画は20年近くお蔵入りになっていたにも関わらず、世間に引っ張り出したのが、橋下「慰安婦」発言だった。私はこのことを重く受け止めたい。

(だい)

映画『“記憶”と生きる』の関西上映は、8月、十三シアターセブンにて






文化 | 12:33:47
【挺対協声名】日本軍「慰安婦」問題、被害者の権利と要求を実現し、日本政府の国家的責任を明確に認める正しい解決として協議がなされなければならない

去る12日パク・クネ大統領がワシントン・ポストとのインタビューで「慰安婦問題に相当な進展があり、現在は交渉の最終段階にある」と言及したことで熱い関心と論議が広がっている。大統領のこのような発言報道は、去る11日日本軍「慰安婦」問題に関する第八次局長級協議が行われた直後になされたことで、日本側の反応は大統領の発言とは乖離して、期待感と共に憂慮と混乱も加重されている。

 この間、局長級協議内容は不問に付され、被害者が望む解決案に耳をそばだてる大統領の努力もみられない中で突然に協議の最終段階に達したという今回の発言は、あたかも50年前の屈辱的で密室妥協とも言える韓日協定が、今日なお「慰安婦」問題をはじめとする日帝の過去の歴史清算を困難に陥いらせる残念な現実の再燃につながるのかという気がかりをよぶ。

しかし、大統領の発言や持続する韓日両国間協議、そして韓日修交50年という重大な時期に進展を成し遂げようとする両国の意志があることを勘案すれば、最終段階であるかどうかは置いておくとしても、日本軍「慰安婦」問題解決のための協議がある合意点に向かって進められていることだけは事実であるようだ。

 

したがって、私たちはその協議の大前提であり原則として日本軍「慰安婦」被害者が望む解決、すなわち、反人道的な女性に対する暴力犯罪の被害者として、日本の国家責任認定と賠償を通じて正当な権利の実現を受けようとする被害者の意思が込められたものでなければならないことを強調する。

すでに挺対協は被害者らと共に李明博前大統領と野田前総理の在任中に明るみにでた「人道的解決」案や密室協議に対して反対の意思を明確にし、日本軍が数多くの女性たちを戦場に動員して性的奴隷化した反人道的犯罪に対する正しい解決、すなわち国家的責任認定と公式謝罪、法的賠償、教科書への記録と再発防止の約束などを通して問題を解決することを要求してきた。 日本政府が国家賠償を無視したまま宥和策で敢行した「国民基金」の失敗でも明らかになったように、法的責任を曖昧にさせる「人道的解決」は根本的な問題解決も正しい問題解決にもなることはない。

相変らず日本政府は、どうにかして「法的責任」を認めないための見せ掛けの形を試みており、安倍総理をはじめとする内閣の人々は公然と「慰安婦」犯罪を否定し、その本質を薄めさせる発言を日常としているなかで、噂に飛び交う日本側の案に戦々恐々とすることはない。「慰安婦」問題に関し日本の国家権力による反人道的不法行為に対する法的責任が残っているとする私たちの政府の公式的な立場を再び鮮明にし、その原則の下で被害者の意思を実現しなければならない。

日本政府がとるべき法的責任が何であるかはすでに韓国だけでなく日本軍「慰安婦」被害国と連帯国が昨年第12次アジア連帯会議と、去る5月にソウルで開かれた第13次アジア連帯会議で採択した「日本政府に対する提言」と決議文を通じても提示された。これは、たとえ一人でも多くの被害者が生存しておられる間に被害者の権利と要求に応じる問題解決が成し遂げられるようにするために提示された「最も優先的で実現可能な解決案」として、日本軍「慰安婦」問題に対する日本政府の国家責任と反人道的で不法な犯罪行為にともなう法的責任の内容を具体化したのだ。

すなわち、日本軍「慰安婦」制度に対する政府と軍の責任、被害女性が本人の意志に反して強制的性的奴隷状況に置かれた点、「慰安婦」犯罪の不法性を認め、それによって明確で公式的な謝罪と賠償、真相究明と再発防止措置を履行することを要求している。 日本軍「慰安婦」問題解決のための協議はこの当然な責任履行を引き出すということでなければならない。

 

光復(解放)70年、韓日修交50年である今年、必ず平和で未来指向的な韓日関係のための進展が実現されなければならない。日本軍「慰安婦」被害者の傷と恨が洗い流されねばならず、日帝の植民支配と戦争犯罪の犠牲になった被害者の痛みも払しょくされなければならない。取り繕い策や政治的妥結で成り立った縫合は再び犯罪を否認する妄言となって私たちに返ってくるものであり、被害者の傷を再び疼かせるだけでなく、韓日間の葛藤も最初に戻って継続するようになるだろう。

第八次局長級協議が行われた去る11日、お二人の日本軍「慰安婦」被害者が問題解決を見ることができないまま生涯を終えられた。私たちに与えられた時間はない。わずか50人の被害者が生存する今、私たちは日本軍「慰安婦」問題の早急で正しい解決のために各国被害者と活動家が日本政府に要求した次の内容を実現するよう韓日両国政府に再度求める。

 

1)次のような事実とその責任を認めること。

  日本政府および施設として「慰安所」を立案・設置管理・統制したこと
  女性たちが本人たちのして、「慰安婦・性奴隷」にされ、「慰安所」等において強制的状況におかれたこと
  日本軍性暴力った植民地占領地日本女性たちの被害にはそれぞれになる態様があり、かつ被害甚大であったこと、そして現在もその被害いているということ
  当時様々国内法・国際法違反する重大人権侵害であったこと

 

2)次のような被害回復措置をとること

  翻すことのできない明確で公式な方法で謝罪すること
  謝罪の証として被害者に賠償すること
  真相究明:日本政府保有資料の全面公開
国内外でのさらなる資料調査
国内外の被害者および関係者へのヒヤリング
  再発防止措置:義務教育課程の教科書への記述を含む学校教育・社会教育の実施
追悼事業の実施
誤った歴史認識に基づく公人の発言の禁止、および同様の発言への明確で公式な反駁等

 

2015615

 

韓国挺身隊問題対策協議会 

尹美香(常任代表) 韓グギョン 宋ソンシル(共同代表)



挺対協 | 10:38:42
【追悼】キム・ウェハンハルモニ/キム・ダルソン
6月11日、ふたりのハルモニが亡くなられました。韓国挺対協からの訃報をおしらせします。






6月11日午後8時40分、日本軍「慰安婦」被害者キム・ウェハンハルモニが亡くなられました。

慶北安東で生まれたハルモニは
1943年に工場へ就職すると思いついていったところ
北海道で「慰安婦」生活を強いられました。
1945年に解放を迎え故郷に帰るため
山に入って木の実を食べて生きながらえ
やっとの思いで故郷の安東にもどりました。

*****

キム・ウェハンハルモニの後を追うように
キム・ダルソンハルモニが6月11日夜9時すぎに亡くなられました。

キム・ダルソンハルモニは
1925年に慶北浦項で3男3女の長女として生まれました。
1943年に母について市場で物売りをしているときに
道で日本の警察につかまりビルマへ連行されました。
帰国まで日本軍の性奴隷生活を強要されました。
1944年ビルマで2度にわたり子宮の手術をするなど体調を壊し
1945年の解放後、最後の船に乗ってプサンにもどってきましたが
体調が悪く2年間は故郷に帰ることができませんでした。
1947年に故郷へもどりようやく両親に会うことができました。

その後、魚や野菜、米の行商をしながら暮らし
1996年に挺対協を通じて被害者申告をしました。

2001年に大邱へ引っ越し
挺身隊ハルモニとともにする市民の会に出会い
大邱地域被害者と一緒に活動しました。
長い入院生活の末
最近になって唯一の親族である14歳下の妹さんが暮らす浦項の療養病院に移りましたが
11日の夜、この世を去られました。

ハルモニが安らかに眠られるよう冥福をお祈りください。

2名の被害者が亡くなり、日本軍「慰安婦」生存者は50名になりました。
今年に入ってすでに5名の被害者が亡くなられています。

一日でも早く日本軍「慰安婦」問題が解決され
ハルモニたちの胸に平和がおとずれるよう
今後の活動に力をいれていきます。

*****

ハルモニの葬儀に行ってきた報告です。

キム・ウェハンハルモニとの最後のあいさつにいってきました。
MERSのせいで高速道路も安東市内も葬儀場も閑散としていました。
家族の方々とハルモニの極楽浄土を願う追悼法会を行い、ハルモニからの最後の食事もいただきました。
ハルモニは明日のお葬式の後、安東公園墓地に眠られます。のちには夫とともに眠ることになる夫婦安置墓地だそうです。
ハルモニの逝く道が安らかであるよう、すべての無念を置いて平安に眠られるよう願います。

続いてキム・ダルソンハルモニを送りに浦項へ向いました。
長い間療養病院で寝たきりだったハルモニが永眠されました。
イ・ヨンスハルモニもお別れのあいさつをするため大邱から来られ、キム・ダルソンハルモニの親族の方々は悲しみをわけあっていました。
キム・ウェハンハルモニと同じ日に亡くなられたので、最後の道も並んで互いに寄り添いながら逝かれればと思いました。
ハルモニは慶州公園墓地に眠られます。ハルモニが無念も痛みもない安らかな眠りにつかれるよう切に望みます。

ご冥福をお祈りください。

韓国挺身隊問題対策協議会

訃報 | 23:27:27
6月3日第105回大阪駅前水曜集会
 心配された雨もお昼過ぎにはあがり、50人の皆さんにご参加いただき、賑やかに水曜デモを行うことができました。
 開始後まもなく、通りかかった男性が「何かできることないですか?署名とか」と声をかけてくださいました。残念ながら署名用紙は持参していなかったので、戦後70年企画のチラシをお渡しすると、もう一枚くださいと言って、二枚持ち帰られました。その15分後ぐらいには、また別の男性が「慰安婦問題のチラシください」と言われ、「すみません。今回はこのチラシしかないんですが・・・」と70年企画のチラシをお渡ししたところ、頷いて持ち帰ってくださいました。人通りがさほど多くなかった割には、立ち止まって横断幕をじっと見ている人たちも多く、今の社会状況の中で、「慰安婦」問題など歴史の真実を知りたいと思う人が、以前よりも増えているように感じられました。
 アピールでは、まず関西ネットから、先日のアジア連帯会議の決議などについて報告。続いて、インドネシアの日本軍性暴力被害者にインタビューを重ねてこられた方が、70年の沈黙を破って体験を伝え始めた被害女性たちのことを、写真を示しながら切々と語られました。自分が訪ねて行った時、日本人が来たと聞いて震えながら隠れてしまった女性、日本人を憎みながらも「としのはじめのためしとて、おわりなきよの」と日本の唱歌を歌う女性・・・「彼女たちに会って話を聞けば、そんなことはなかったなどと絶対に言えないはずだ」と締めくくられた報告は心に強く響きました。
 パウィチョロンの踊りに続いて、『こどもたちに渡すな!あぶない教科書』大阪の会の方から、今夏採択される中学校の教科書に関するアピールがありました。フジ・サンケイグループが後ろ盾となって発行が始まった歴史歪曲の社会科教科書、育鵬社・自由社教科書は、戦争する国作りのためのものであること、橋下市長が、教育委員全員を、元産経新聞記者など自分の意に沿う人物に入れ替え、市全体を一つの採択地区にまとめた大阪市で、育鵬社教科書採択の可能性が高まっていることなどが報告され、市民が声をあげることで危険な教科書の採択を止めるしかないと痛感しました。
 また、大阪駅前水曜デモ史上最も若いアピール担当者と思われる10代の青年は、国会で審議中のいわゆる安保法制について、「安倍首相は日本国民を守ると言うけれど、自衛隊員の命は守らなくていいのか。自衛隊員だって日本国民じゃないか。戦争していったいどんな良いことがある。戦争がなければ、『慰安婦』問題などなかった。領土問題だって元は戦争から起ったことじゃないか。」とみずみずしい感性で明快に現政権の矛盾を指摘してくれました。
 さらに、宝塚からは、差別排外主義者らによる攻撃を乗り越えて、ヘイトスピーチの法規制を求める市議会決議をあげてほしいという市民の請願が委員会で趣旨採択され、本会議で審議されることになったと報告があり、「慰安婦」問題の解決を求める意見書可決7周年の集いへの参加が呼びかけられました。
 厳しい情勢の中でも、いえ、それだからこそ、戦争する国への動きに抗する市民力が高まっていると感じられる水曜行動となりました。      (たな)
水曜デモ2


大阪水曜デモ | 13:45:43

FC2Ad