2016/04/30
映画「蘆葦の歌」上映会

4月29日、関西ネットの主催で映画「蘆葦の歌」の上映会を開催しました。映画「蘆葦の歌」は、台湾の日本軍「慰安婦」被害者の尊厳回復を描いた映画です。もう亡くなられた被害者たちがどのような晩年を送っていたのか知るにつけ、私たちの果たせなかった責任を痛感せざるを得ない、とても胸に迫るドキュメンタリーでした。
イアン・アパイさんは、被害にあった日本軍の洞窟のすぐそばに暮らしています。集落に暮らす人がみな、アパイさんが日本兵の「慰安婦」であったと知っており、心ない言葉を投げつける人もいたようです。
「日本軍の命令は天皇陛下の命令。だれが逆らうことができるでしょうか」
そう反論すれば、周囲の人はみな何も言えないそうですが、それでもそんな状況の中で暮らしてきたアパイさんの絶望状況を思えば、とても苦しくなります。住んでいる場所の近くにある洞窟が何度も夢に出てうなされるそうです。
呉秀妹さんはカウンセリングの中で、加害者を赦すと言い、そして過去の自分を赦すと話しました。過去の自分が何か悪いことをしたわけでもないのに!
呉秀妹さんの言葉は、簡単に受け止めることができません。重く沈殿した記憶から解放されるためには、過去の自分を肯定しなければなりません。自己肯定こそが尊厳回復の鍵です。そのためには加害者をも赦さなければならなかったのでしょう。
しかし、赦されるに値する日本でしょうか?
陳桃さんは国会議員会館に行き、必死にこう訴えておられました。
「お金が欲しいわけじゃない。日本に謝って欲しい。謝罪の言葉があれば他に何もいらない」
安倍首相は、日韓「合意」で「朴槿恵大統領に電話で一度謝ったから、これ以上謝る必要はない」と答弁し、人前では一度も謝罪の言葉を口にしていません。もちろん被害者の前でも。
呉秀妹さんが「赦す」と言ったのは自己の尊厳のためであり、そして安倍首相が謝罪を口にせず、菅官房長官が「台湾政府を相手にせず」と公言するのは、逆説的ではありますが、呉秀妹さんの高い人間性に日本政府が敗北しているようにさえ、私には映ります。
映画を鑑賞した後、台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会の柴洋子さんからお話を伺いました。
名乗り出て裁判に立ち上がった支援者たちの素顔をを語っていただきました。
映画の中の被害者たちは、笑顔がとてもチャーミングでした。しかしそれは「笑えるようになったのだ」と柴さんは言います。
台湾の支援団体である婦女救援社会福利事業基金会(婦援会)は、被害者たちのために継続してカウンセリング・ワークショップを開催してきました。その地道な過程で被害者たちは、自分自身と向き合い、肯定し、笑顔を取り戻していくのです。
この映画は、被害者の尊厳回復とは何かという普遍的なテーマを描いた映画であり、日本軍「慰安婦」問題にそれほど関心のない人にも観て欲しい、とてもすばらしい映画でした。
そして、被害者が笑えば笑うほど、安倍政権の醜悪さを見せつけられるようでした。
呉秀妹さんが亡くなられたのは2012年11月3日、「謝罪の他になにもいらない」と仰っておられた陳桃さんが亡くなられたのは今年の1月11日、あの日韓「合意」から数日後のことです。
亡くなられた被害者のために、私たちは何ができるでしょうか?
被害者が尊厳回復に至る道筋には、この映画の中にもあるように、柴さんのような加害国の支援者の存在が不可欠でした。私たちが日本政府を許さず、ホンキで追及し続けることこそが、被害者のために必要なのです。
ましてや、こんな被害者たちを愚弄し続ける安倍政権を、許しておけるわけがありません。
収益は全て台湾の「慰安婦」被害者のための博物館「阿媽の家 平和と女性の人権館」に寄付させていただきます。当日たくさんの方にご参加いただき、ありがとうございました。
追伸:上映会当日、上映機器の不具合で参加された方々には大変ご迷惑をおかけしました。改めてお詫び申し上げます。