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2016年の一年間に亡くなった日本軍「慰安婦」被害者追悼式 及び第1263回日本軍「慰安婦」問題解決のための定期水曜デモ声明書

2016年の一年間に亡くなった日本軍「慰安婦」被害者追悼式
及び第1263回日本軍「慰安婦」問題解決のための定期水曜デモ声明書
「ナビの夢」は永遠に

2015年12月28日、日韓両国政府の「合意」という残酷な二次被害により、日本軍「慰安婦」被害者たちと彼女たちの訴えに共感する世界中の市民たちは、これまでになかった痛みと悲しみの中でこの一年を送らねばなりませんでした。2016年は日本軍「慰安婦」問題の歴史において最悪の年でした。その苦痛に満ちた一年の間に、私たちは7名のハルモニを見送る事しかできませんでした。

「2015日韓日本軍『慰安婦』合意」は明白な誤りでした。日本政府の「謝罪と反省」は既に1995年に被害者たちにより拒否された「国民基金」当時の曖昧なレベルにとどまりました。それに先立ち1993年の「河野談話」で日本政府が明らかにした、強制性の認定と持続的な真相究明及び歴史教育に対する決意は全く見られず、むしろ20年前よりも明らかに後退しました。それにも関わらず、韓国政府は「最終的かつ不可逆的解決」と「国際社会での批難・批判を控える」ことに合意し、更には平和の碑(少女像)への日本政府の「憂慮」に対し、「適切に解決されるよう努める」と約束までしたのです。被害者と市民が合意直後から「絶対反対」と「無効化」を切々と叫んだのは、日韓「慰安婦」合意がこのように話にならないような合意であったからに他なりません。

「代読おわび」という傲慢な行為を強行した安倍総理は、自身の口で「謝罪と反省」に言及する事を最後の最後まで拒絶しました。韓国政府が卑屈に要請した追加措置すら「毛頭考えていないと」冷酷に切り捨てられました。代わりに安倍政権は「強制連行の証拠はない」、「性奴隷ではない」と言い張り、「約束通り少女像を撤去しろ」と圧迫しました。そして「2015合意」を「外交業績」とし、最長寿政権を狙い、日本を「戦争のできる国」にするよう邁進しています。

安倍政権の最大の援軍として名乗り出た朴槿恵政権は、被害者と市民の明白な反対にもかかわらず、軍事作戦を繰り広げ「2015合意」を押し付けました。「一歩後退」であることが明白なのにもかかわらず「一歩前進」だと言い張りました。「賠償金か?」という問いに「癒し金だ」、「賠償金だ」、「賠償金的性格の癒し金だ」と度々言葉を変え、しどろもどろに迷走を続けました。合意を規定事実化するため、率先して財団をつくり、率先して日本政府から10億円を受け取り、率先して「現金支給」事業を推し進めました。高齢の被害者たちに無理矢理会いに行き、事実ではない嘘と巧みな話術で懐柔・圧迫し、「反対とは言わなかったから賛成」と被害者たちを反対派・賛成派に分断し、「過半数」が「現金支給」事業に申請したから「成功」であると宣伝しました。過ちを犯しながらもそうでないと言い張り、頑として押し付けようとする「朴槿恵式壟断」の典型です。「普遍的女性の人権」に対する認識は勿論の事、日本軍「性奴隷」という惨憺とした被害を受けた高齢の被害者たちに対する基本的な礼儀すら見受けられない恐るべき態度です。

しかし、私たちは鮮明に覚えています。過去一年間の間に「少女像」を守るために雨風に吹かれながらも、昼夜を問わず活動した、数多くの若者たちがいる事を。「正義記憶財団」を共につくり、共に引っ張っている市民たちがいる事を。何よりも、最後に残った血の一滴、汗一滴まで流しつくし、真の解決とは何かを体を張って見せてくれるハルモニたちがいる事を。

犯罪事実の認定、公式謝罪、法的賠償、真相究明、歴史教育、追悼、責任者の処罰!これまで四半世紀以上叫び続けて来ました。困難に打ち勝って立ち上がった被害者たちと彼女たちの訴えに共感した市民たちが、数十万とも言われる被害者たちの悲痛なまでの痛みを叫んできました。「普遍的女性の人権」への深刻な侵害に対し、「最終的かつ不可逆的な解決」は有り得ません。「普遍的女性の人権」への深刻な侵害の解決は、韓国人と日本人が別々に成しえることは出来ません。

だからこそ、私たちはこの場で世界市民としてまた叫ぶのです。韓国政府は「和解・癒し財団」を即刻解体せよ!韓国政府は「2015合意」を即刻破棄せよ!韓国政府は日本軍「慰安婦」問題の正義の解決のために率先して取り組め!日本政府はしかるべき責任を真摯に誠実に履行せよ!

私たちはまたこの場で世界市民として再確認します。日本軍「慰安婦」犯罪に対する認定と謝罪、真相究明と教育は永遠に続けなければなりません。「ナビの夢」は永遠に繋げなければなりません。私たちの行進は続きます。

2016年12月28日
2016年に亡くなった日本軍「慰安婦」被害者追悼式及び第1263回日本軍「慰安婦」問題解決のための定期水曜デモ参加者一同

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12.28日韓合意から一年 国会-市民社会共同記者会見 <朴槿恵による外交惨事、日韓日本軍「慰安婦」合意は無効だ>

12.28日韓合意から一年 国会-市民社会共同記者会見

<朴槿恵による外交惨事、日韓日本軍「慰安婦」合意は無効だ>

日時・場所:1227() 930分~ 国会政論館

主催:

(国会)クォン・ミヒョク、キム・ジョンデ、キム・ギョンヒョプ、ナム・インスン、ノ・へチャン、ムン・ミオク、パク・キョンミ、シム・サンジョン、シム・ジェグォン、ヤン・スンジョ、ユン・ジョンオ、イ・ジョンミ、ユン・ソハ、チョン・チュンスク、チン・ソンミ、チュ・へソン、ホン・イクピョ

(市民社会)日韓日本軍「慰安婦」合意無効化と正義の解決のための全国行動

 

記者会見文

 

朴槿恵による外交惨事、日韓日本軍「慰安婦」合意は無効だ

政府は屈辱的な日韓合意の背景を糾明し、責任者は辞任により責任を取れ

 

明日、1228日は、日韓両国政府が屈辱的な日本軍「慰安婦」合意を発表してから1年となる日だ。安倍政権の茶番劇だった12.28合意は、朴槿恵政権の代表的な外交惨事と言える。今日、私たちは12.28日韓合意が全面的に無効であることを再度明らかにし、再協議を求める為、この場に立った。

 

この一年間、政府は被害者たちの強力な反対と社会的批判を無視したまま、屈辱的な合意を履行する事にだけ没頭してきた。和解・癒し財団の設立を強行し、「癒し金」に過ぎない10億円によって被害者たちを愚弄し、慰安婦関連資料のユネスコ世界記録遺産登録支援事業の中断、教科書の記録縮小等、事実上、日本軍「慰安婦」の歴史を消すことに積極的だった。日本は12.28屈辱合意にかこつけて、慰安婦動員の強制性を否定し続け、世界各地の平和の碑建設を阻止する等、歴史歪曲と被害者たちへの二重・三重の加害を躊躇なく続けている。

 

日韓日本軍「慰安婦」合意は日米韓軍事同盟を強化するために日本の戦争犯罪に免罪符を与える措置だった。合意後、政府は待っていたかのようにTHAADの韓国配置を決定し、日韓軍事情報保護協定締結を推し進めた。日韓関係の「障壁」となった「慰安婦」問題を拙速で屈辱的な合意によって「最終的かつ不可逆的解決」と宣言し、三国間の軍事同盟に拍車をかけたのだ。

 

朴槿恵政権の代表的な外交惨事である日韓慰安婦合意が強行された背景は、徹底的に明らかにされなければならない。最近になって、日韓合意と関連して、主務長官である尹炳世長官が「3ヶ月の猶予」を要請したが、朴槿恵がこれを受け入れなかったという主張が提起された。これに先立ち、日韓合意が事実上駐日大使に過ぎない、当時の李丙琪青瓦台秘書室長と谷内正太郎国家安保局長との間の「秘密会談」によって妥結したという報道もあった。日韓合意が朴槿恵の国政壟断であったという疑惑が提起されている状況において、日韓「慰安婦」合意を原点に立ち返って無効化し、和解・癒し財団の解体によって合意履行の強行を阻止しなければならないという点が、より明確になってきた。政府は主務部署の存在理由すら無効化させたまま合意を強行した背景を徹底的に明らかにし、合意を主導した責任者たちは辞任すべきである。

 

私たちは朴槿恵政権の相対的な国政壟断が暴露され、大統領退陣への社会的な圧力が最高潮に達した今、朴槿恵政権の国政壟断、失敗した外交政策として残る12.28合意が全面的に無効であることを再度宣言する。重大な人権侵害の被害者として「慰安婦」ハルモニたちが持つ権利は、決して日韓間の合意によって消滅させることはできない。

 

ここに、私たちは次の通り要求する。

1.    政府は屈辱的な12.28日韓合意を破棄し、和解・癒し財団を解体せよ。

2.    屈辱的な日韓合意の推進過程を一つ残らず明らかにし、合意を主導した朴槿恵大統領と主務長官である尹炳世外交部長官は即刻辞任せよ。

 

私たちにこれ以上時間は無い。今残っている「生きた」歴史は39名しかいない。この25年間、被害者たちが求めてきたのは日本政府の日本軍性奴隷問題に対する国家的責任の認定と公式謝罪、法的賠償、そして再発防止措置の履行だ。このために私たちは現在も係留中である日韓合意の無効と再協議を求める決議案を早急に通過させ、政府を相手に合意無効と再協議を求め、被害者たちの正義と人権を取り戻すための行動を続ける。

 

20161227

記者会見参加者一同

 

2・28日韓「合意」は解決ではない! 日本政府は「慰安婦」問題解決に立ちあがれ

<アピール>

12・28日韓「合意」は解決ではない!

日本政府は「慰安婦」問題解決に立ちあがれ

昨年12月28日の日韓政府間「合意」から一年を迎えました。

被害者をおきざりに、「責任の痛感」「お詫びと反省」「軍の関与」というあいまいな事実認定と実体のない言葉を並べて日本軍「慰安婦」問題を「最終的かつ不可逆的に」解決すると表明した日韓「合意」に対し、私たちはあらためて、「合意」は解決ではないことを訴えます。

「合意」発表直後から、韓国では被害者はもちろん市民・学生らによる批判と抗議の声が湧きおこりました。日本では政府とメディアが一体となって、あたかも「慰安婦」問題は「合意」によって終結したかのような見方を拡げました。私たちはこのような動きを許すことができないと、「合意は解決ではない」ことを訴え、全国各地で集会やデモ、講演会などあらゆる行動を展開、日本政府への要請行動も行ってきました。11月には韓国、フィリピン、インドネシア、東チモールの被害者を招いて証言集会や外務省交渉を行い、今もアジアの各国で被害に苦しむ被害者らの存在を伝え、「慰安婦」問題は日韓間だけでは解決できない問題であり、日韓「合意」で解決していないことを訴えました。

韓国政府は2011年の憲法裁判所決定を受けて、「慰安婦」問題は日韓請求権協定で「法的に解決済み」であるか否かについて、日本政府と対立した状況にありました。これを棚上げして「合意」としたことは、国家としての責任を放棄するものです。日本政府が「日韓条約で解決済み」「10億円は賠償金ではない」と繰り返しているにも関わらず、「和解・癒し財団」のもと、「賠償金」であるかのように装いながら被害者に配るというのは、まさに被害者を欺き、愚弄するものです。日本大使館前の「平和の碑(少女像)」の撤去を執拗に求める日本政府の姿勢もまた、「反省」や「お詫び」が口先だけのものだと繰り返し見せつける行為です。このように、「合意」は被害者の尊厳回復措置を行うと言いながら、それどころか、被害者の尊厳を傷つけているのです。

安倍首相は国会で、「合意」は「私たちの子どもや孫、次の世代の子どもたちに謝罪し続ける宿命を負わせるわけにはいかない。その決意を実行に移すための決断」だったと述べました。そして、被害者へのお詫びの手紙の話が出ると即座に、「毛頭考えていない」と答えたことと同様、安倍首相にはこの「合意」で国家の責任を認める気もなければ謝罪の意思もないことが明らかです。今、未來の世代のためになすべきこととは、歴史を隠蔽することではなく、事実を明らかにし、記録し、記憶・継承すること、再び被害を繰りかえさせないことです。

日本政府は第12回アジア連帯会議で各国被害者と支援者によって採択された「日本政府への提言」と、国際人権基準に沿って、加害の事実に向き合い、謝罪と賠償、真相究明と教育などの被害回復、再発防止措置を行うよう、私たちは強く求めます。

2017年、私たちは二国間の談合的「合意」によって翻弄され、踏みにじられたすべての被害者の尊厳回復のために、アジアの被害者や市民と連帯し、ともに闘います。

みなさまがともに声をあげてくださることを心より願うものです。

2016年12月28日

日本軍「慰安婦」問題解決全国行動

「阿嬤の家-平和と女性人権館」(AMA Museum)開幕式

12月10日午前、台北で「阿嬤の家-平和と女性人権館」(アマ・ミュージアム)の開幕式がありました。博物館のすぐ近くの公園に、文化部長をはじめ、たくさんの国会議員や婦援会の代表、それに陳蓮花アマなどたくさんの列席がありました。また私たち日本の支援者をはじめ、各国から60人もの参加がありました。

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(模型を前にテープカット)
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(お話しする陳蓮花アマと李容洙ハルモニ)

本当に紹介したいたくさんの挨拶があったのですが、日本の参加者としてもっとも心に残った柴洋子さん(台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会)の発言をここで紹介します。柴さんの発言は、日本から開幕式に駆けつけた私たちの気持ちと全く同じです。

「アマたちは99年に日本政府に謝罪と補償を求めて提訴したが、それまで名前を公表することもためらっていたアマたちが、なぜ裁判をおこすようになったのかとビックリしたことを覚えている。私たちは裁判闘争を支援するために会を立ち上げたが、裁判闘争を通じてアマと親しくなるなかで、アマたちの心の穏やかさや強さを知りました。台湾の「慰安婦」裁判は他の裁判が敗訴するなかでの提訴でした。そして結果は、フィリピンの裁判と同じく、事実認定もされないという血も涙もない判決でした。陳桃アマは、負けてもなおまだ闘うと言っていましたが。
婦援会のワークショップにも参加させてもらうなかで、アマたちの心の変化、裁判に至る変化を知りました。これは本当に婦援会の被害者の気持ちに寄り添う働きがあったからこそです。
日本政府はアマたちを無視していますが、アマを記録し記憶するミュージアムができ、これで記録と記憶に残されることになります。
日本は情けない状況にありますが、諦めることなく、日本政府に謝罪と補償を求めていきます。」

近くのカフェで昼食を採り、午後から博物館を見学しました。
博物館は台北の中でも古い街並みが特徴的で観光スポットでもある迪化街にあります。建物の壁面は被害者たちの象徴である葦の絵が銅板に打ち貫かれていて、。京都の町屋のような細長い建物の入り口はカフェになっており、訪れた人がゆっくり休憩できるようにもなっています。
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そしてカフェの奥に入ると、アマたちの被害体験や、名乗り出てからの闘いの記録が展示されています。特に台湾については、日本軍「慰安婦」を中国大陸や海南島、東南アジアへ連行した際の台湾総督府の関与がかなり明らかになっており、それらの資料も展示されています。
そしてなによりも胸を打つのは、婦援会のワークショップでアマたちが作った作品の数々です。アマたちの最晩年を描いたドキュメンタリー映画『蘆葦の歌』でも描かれていますが、婦援会はアマたちに絵画を書くことや写真を撮ること、またなりたかった自分を体験してもらうなど、様々なワークショップを通じてアマたちに自分の内面と向きあってもらい、被害回復を実現してきました。ここまで専門的で深い取り組みは、他の支援組織ではなかなか実現できませんでした。そしてそんなアマたちの自己表現を通じて、私たちはアマがどれだけ苦しい思いをしてきて、どのような葛藤を戦後も抱えてきて、立ち上がるためにどれだけ勇気を振り絞らなければならなかったか、私たちは知ることができました。どれだけ日本軍がアマたちに回復しがたい傷を残したかも。
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アマたちの作品は彼女たちの尊厳回復への道のりであり、人類の遺産といってもいいものだと思います。今は亡きアマたちが心と向きあった作品群を前にすると、そこにアマたちがいることを感じます。日本政府がどれだけ彼女たちをなき者にしようとも、世界記録遺産に認められることを邪魔しようとも、彼女たちは確かに存在したし、彼女たちが亡くなった後も彼女たちが存在したという事実は日本政府を告発することを止めません。
2階の廊下にはたくさんのライトが天から降り注いでいます。手をかざすと、亡くなられた被害者たちの名前がそこに刻まれていることがわかります。台湾で名乗り出た被害者は59人。59人の名前が私たちの掌に握られ、私たちが何をすべきかを教えてくれます。
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「阿嬤の家-平和と女性人権館」はアマたちが生きてきた証しを今に遺す博物館です。そして今も私たちの心の内に生き、私たちに闘う理由を教えてくれる博物館です。
婦援会の康淑華執行委員長は、博物館建設の苦労についてこう語っていました。
「足掛け12年、アマたちの『いのちの物語』を保存できる場所が必要でした。政府は実現を約束してくれましたが、様々な条件で挫折し、台湾で初の民間の基金による人権博物館を作ることになりました。最大の課題は資金調達でした。あと1000万元(約3500万円)ほど足りません」
今回博物館は無事開館できましたが、資金面での課題をまだ抱えています。本来このような博物館は日本にこそ必要なのに、日本で唯一の「慰安婦」博物館であるwamは右翼から脅迫されるような今の日本の状況です。 
関西ネットでもアマ・ミュージアム建設支援を行いましたが、博物館を支えるための取り組みを今後も続けたいと思いますし、みなさまもアマ・ミュージアムへの支援をお願いします。
そしてぜひ、みなさんもアマ・ミュージアムを訪ねてみてください。アマたちの存在を感じ取り、日韓「合意」後の最悪の日本社会の状況にあってなにをするべきか、ともに考え、行動しましょう。

(だい)

「阿嬤の家-平和と女性人権館」(AMA Museum)レセプション

12月10日、台湾の台北で「阿嬤の家ー平和と女性人権館」(AMA Museum)の開幕式があり、前日の9日にはレセプションが開催されました。多くの日本の支援者の他にも、韓国、中国、アメリカから支援者がやって来て、とても彩りのある雰囲気に包まれました。

博物館建設には足掛け12年かかったそうで明日の開幕に至るまで様々な紆余曲折があったようです

日本軍「慰安婦」問題の博物館ができるのは、台湾ではこれがはじめて。韓国や中国には複数あり、日本では唯一wamがその役割を果たしています。

各国からの挨拶のなかで、心に残る話はいくつかあったのですが、婦女救援基金会の康淑華さんが、今回の博物館の場所を制定するにあたって教育を重視するように心がけたと話されていたのが、特に心に残りました。博物館は観光客や若い人が多く訪れる場所にあり、グッズ販売などに力をいれ、また映像の機能を強化することで若い人にも伝えていく努力をするそうです。韓国でも同じような取り組みがなされています。

婦援会には若いスタッフがたくさんいます。しかし日本では教科書に記述されていないこともあり、若い世代への継承がうまくいっているとは言えません。被害者の高齢化が進み、今どこの国でも記憶と記録の継承が問題になっていますが、日本では台湾以上に記憶の継承が必要です。先述したように日本ではwamが博物館としての役割を担っていますが、いまや爆破予告が送られてくるような、あまりにもひどい日本の現状です。

明日は「阿嬤の家」に赴きます。台湾での取り組みを学び、日本での活動にいかしていきたいと思います。

【追悼】朴淑伊ハルモニ

皆さま

慶尚南道の南海に暮らしていた朴淑伊ハルモニが
12月6日午後8時40分に亡くなられました。

1922年に生まれたハルモニは
話し上手で日本軍「慰安婦」問題を広く知らせるため数々の講演も行ってこられました。
何度も体調を崩しましたが、再び起き上がられました。
最近、健康状態が悪化し、心配していたところ、
今日の午前には重患者室から一般病棟に移られたとの知らせを受けましたが、起き上がることができず逝ってしまわれました。
2~3ヶ月前に訪問したとき、息ぐるしく話すことさえ困難な状態でしたが、
日本は早くハルモニに謝れ、間違っていたとわびろ、そして再び悪いことをするな、
そう言われたハルモニ。
これからは苦痛も痛みもすべておいて、安らかにお眠りください。
朴淑伊ハルモニのご冥福をお祈りします。

韓国挺身隊問題対策協議会

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プロフィール

日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク

Author:日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
わたしたちは日本軍「慰安婦」問題解決のため、関西を中心に活動しています。

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