【追悼】キム・ウェハンハルモニ/キム・ダルソン

6月11日、ふたりのハルモニが亡くなられました。韓国挺対協からの訃報をおしらせします。






6月11日午後8時40分、日本軍「慰安婦」被害者キム・ウェハンハルモニが亡くなられました。

慶北安東で生まれたハルモニは
1943年に工場へ就職すると思いついていったところ
北海道で「慰安婦」生活を強いられました。
1945年に解放を迎え故郷に帰るため
山に入って木の実を食べて生きながらえ
やっとの思いで故郷の安東にもどりました。

*****

キム・ウェハンハルモニの後を追うように
キム・ダルソンハルモニが6月11日夜9時すぎに亡くなられました。

キム・ダルソンハルモニは
1925年に慶北浦項で3男3女の長女として生まれました。
1943年に母について市場で物売りをしているときに
道で日本の警察につかまりビルマへ連行されました。
帰国まで日本軍の性奴隷生活を強要されました。
1944年ビルマで2度にわたり子宮の手術をするなど体調を壊し
1945年の解放後、最後の船に乗ってプサンにもどってきましたが
体調が悪く2年間は故郷に帰ることができませんでした。
1947年に故郷へもどりようやく両親に会うことができました。

その後、魚や野菜、米の行商をしながら暮らし
1996年に挺対協を通じて被害者申告をしました。

2001年に大邱へ引っ越し
挺身隊ハルモニとともにする市民の会に出会い
大邱地域被害者と一緒に活動しました。
長い入院生活の末
最近になって唯一の親族である14歳下の妹さんが暮らす浦項の療養病院に移りましたが
11日の夜、この世を去られました。

ハルモニが安らかに眠られるよう冥福をお祈りください。

2名の被害者が亡くなり、日本軍「慰安婦」生存者は50名になりました。
今年に入ってすでに5名の被害者が亡くなられています。

一日でも早く日本軍「慰安婦」問題が解決され
ハルモニたちの胸に平和がおとずれるよう
今後の活動に力をいれていきます。

*****

ハルモニの葬儀に行ってきた報告です。

キム・ウェハンハルモニとの最後のあいさつにいってきました。
MERSのせいで高速道路も安東市内も葬儀場も閑散としていました。
家族の方々とハルモニの極楽浄土を願う追悼法会を行い、ハルモニからの最後の食事もいただきました。
ハルモニは明日のお葬式の後、安東公園墓地に眠られます。のちには夫とともに眠ることになる夫婦安置墓地だそうです。
ハルモニの逝く道が安らかであるよう、すべての無念を置いて平安に眠られるよう願います。

続いてキム・ダルソンハルモニを送りに浦項へ向いました。
長い間療養病院で寝たきりだったハルモニが永眠されました。
イ・ヨンスハルモニもお別れのあいさつをするため大邱から来られ、キム・ダルソンハルモニの親族の方々は悲しみをわけあっていました。
キム・ウェハンハルモニと同じ日に亡くなられたので、最後の道も並んで互いに寄り添いながら逝かれればと思いました。
ハルモニは慶州公園墓地に眠られます。ハルモニが無念も痛みもない安らかな眠りにつかれるよう切に望みます。

ご冥福をお祈りください。

韓国挺身隊問題対策協議会
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