9月4日「インドネシアにもあった日本軍慰安所」学習会

大阪市総合生涯学習センター第2研修室で開いたインドネシアの日本軍性暴力に関する学習会では、講師の鈴木隆史さんから、「日本軍政下の性暴力とは?―インドネシア南スラウェシで被害者の声を聞く―」と題して、貴重な証言映像を中心とした講演をしていただきました。
 鈴木さんはインドネシア地域研究の専門家として現地に滞在するうち、被害女性の存在に気づき、2012年から聞き取りを始められました。堪能なインドネシア語と、どんな相手の懐にも飛び込んでいけるお人柄によって引き出す被害証言の数々。撮りためたたくさんの映像の中から今回は3人の女性の被害証言を紹介してくださいました。
 道を歩いている時、銃を突きつけられてトラックに荷物のように放り込まれ、竹で作られた慰安所で8ヶ月近く、何人もの日本兵に強姦され続け、ようやく解放されて家に帰ると「日本人とセックスした女は汚い」と言われて両親に追い出された女性。その後は他家の農作業の手伝いなどをしながら一人で生き抜き、遠い親戚の女の子を養女にして今はその子の世話になっているものの、膝が痛んでも病院に行くお金もないとのこと。南スラウェシには独特の「シリ(恥)」という考え方があり、日本兵に犯されたことは一族の恥として、親に殺された女性さえもいるのだそうです。
 日本軍が作った飛行場の近くに住んでいて、日本兵に銃で脅され、家から100歩も歩かない場所にある壕に、毎夜、強姦されるために通い続けねばならなかった女性。その方は親にも事実を明かさず、その後結婚した夫にも何も話さず、娘さんが17歳になった時、はじめて娘だけに被害を打ち明けました。その娘さんが、脳梗塞のため話せなくなった母親に代わって証言するのですが、証言の翌年、現地を訪れた鈴木さんは、その女性のお墓に案内されることになります。なんと、そのお墓は、女性の遺志により、強姦された壕の場所にたてられていました。女性はそのことで何を後生に伝えようとしたのでしょうか?
 13歳の時、母親と一緒に製糸工場で糸をつむぐ仕事をしていて、すぐ隣にある慰安所に連れて行かれ、その後約一年間、同じ年頃の少女たちと共に大きな一つの部屋に監禁されて、親にもあえず、小部屋に呼び出されては一日数人の日本兵の相手をさせられ続けた女性。恐ろしくて抵抗もできず、ただ叫び声をあげるしかなく、他の少女たちの同様の叫び声が周囲の部屋からも聞こえてきたそうです。お菓子を作って売り、一人で暮らしているその方は、周囲の人たちには被害のことを隠し続けています。そして、もし今、加害者が目の前に現れて詫びたら許すかとの問いに対し、「いまさら遅いわ」と答えます。
 一つ一つの事実の重みが、その事実の前で自分に何ができるか考えることを迫ってくるかのように思われる学習会となりました。(たな)
インドネシア学習会_edited
 
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