【追悼】陳林桃ダーニャン

 とても悲しい訃報を、第1次中国人「慰安婦」訴訟弁護団からいただきました。裁判の原告もされていた陳林桃さんが亡くなられました。昨年の万愛花さんに続き、中国での被害者をまた失うことになりました。原告6人のうち、ご存命なのは李秀梅さんだけになってしまいました。
 橋下市長などが被害者の尊厳を傷つける発言を繰り返し、あまつさえそれを容認するような空気のあるこの日本を見て、陳林桃さんはどのような気持ちであの世に旅立たれたのでしょうか。
 それを思うと、悔しい気持ちで一杯です。
 その無念を晴らすためにも、私たちは一生懸命日本政府に謝罪と補償を要求し続け、橋下市長のような心ない発言をする者を絶対に許さない社会を築いていきたいと思います。(だい)


 1995年、第1次中国人「慰安婦」訴訟の原告 陳林桃さんが1月29日自宅でなくなりました。
 陳さんは1923年山西省う県侯庄村で生まれ、15才で結婚して羊泉村で生活していましたが、夫が八路軍に参加し、夫の両親と羊泉村で生活していた1943年旧暦7月ころ、村の川で洗濯しているところを日本軍兵士に捕まりました。そして同じ日に李庄村で捕まった侯冬が(女篇に我)とともに進圭村に連行されて監禁され日本軍兵士から性暴力をうけました。捕まった最初の日に日本軍兵士から「夫の居場所を言え」と言って拷問を受け、そのとき大腿骨を骨折しました。一緒に捕まった侯冬がの世話になりながら約20日間監禁され、その後解放されましたが、重度のPTSDと骨折による大腿骨の変形が後遺症として残っていました。
 陳さんは、提訴の時から肺気腫を持っていて、片肺が機能せず呼吸が辛そうでした。どうしても日本へ行って被害を訴えたい、という強い希望を、私は陳さんのこの病状から現地の病院でも診断して戴きましたが、無理と判断し、中国人「慰安婦」事件の6人の原告の内ただ一人、来日できませんでした。
 今になってみると、あんなに直接裁判所で訴えたいと言っていた陳さんの希望に添えなかったことをとても苦しい思いで思い出しています。
 これで6人の原告の内、ご存命なのは李秀梅さんただ一人になってしまいました。

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