野崎の「慰安婦」碑

IMG_9562.jpg
11月13日、関西ネットのメンバーで大東市野崎にある「慰安婦」の碑を見に行きました。生駒の麓にある野崎は、野崎観音で有名な古い信仰の町で、その碑は大阪の街を望む生駒の斜面にありました。資料によると建立は1977年。施主は石田龍雲という人で、協賛者芳名として3人の韓国人の名と3人の日本人の名が刻ませていますが、建立に至る経緯はよくわかっていません。
碑の中央に赤十字のマークと共に「大東亜戦没 日韓看護婦 慰霊の碑」とあり、その下には龍雲の手によるものと思われる「いくさ人/いたわり助け/育みし看護の労い/を/永遠に称えぬ」という言葉が刻まれています。
これだけだと「慰安婦」のことを指しているのかはわかりませんが、碑の裏側にはこう刻まれているそうです。(今では文字が消えかけて、読むことはできません。)
「大東亜戦争三十三回忌を迎えて
この碑は大東亜戦没朝鮮処女 女子挺身隊七万余人
日本看護婦二万余人
計九万余人の尊き英霊を祭るために建立す
心ある人々の参拝を心を罩めて願う」
この言葉も施主、龍雲によるものです。
「称える」
「尊き英霊を祭る」
これは一体何のことでしょうか?
一体誰を称え祭るというのでしょうか?
これを建立した石田龍雲さんは、それなりの人物なのだと思います。おそらく戦争体験もあって、その悲惨を知り尽くし、戦場にいた女性たちにもかなりの思い入れと親近感があったのだと思います。
良心的な日本人男性なのだと思います。
でも称えたり祭ったりするのは、あくまでも日本人の男性目線。
ペボンギさんが名乗り出た数年後に建立された碑。当時の時代感覚では当然の感覚だったのでしょう。ペボンギさんは最初、「友軍(日本軍)が負けて悔しいさ」と言っていたそうです。同志的感覚。
でも自分の体験を他人に話す過程で自分が被害者なのだと、自分が悪いわけではなかったのだと気づくのです。
この碑は、歴史に見捨てられた同志である「慰安婦」を顕彰しようというものです。靖国に顕彰されるかのように。それは同志であり、そして男どもには確かに同志だった。自分が戦争の犠牲者であると同じ意味において、彼女たちも被害者だった。
でも、彼女たちは同志ではありません。日本兵に凌辱された被害者です。
IMG_9556.jpg
彼女たちも錯覚することはある。でもそれは自分が性奴隷だと気付かない限りにおいてでしかありません。自分が被害者であると気づき、日本政府を相手取って闘ったハルモニたちの姿はどこにもありません。ハルモニたちを凌辱したという加害者感覚が、どこにもありません。
ハルモニたちが同志と思うのはいい。でも日本人の男性が同志と思うのは、醜悪でしかありません。
国内にある「慰安婦」に関する碑は6つ。そのうち金学順さんが名乗り出た1991年より前に建てられたのは3つ。そのうちのひとつが、かにたの村にある、自身が「慰安婦」被害者だった城田すず子さんが建てた碑で、残り2つがこの野崎の碑と、千葉県鴨川市にある「名もなき女の碑」です。この「名もなき女の碑」と、今日訪ねた野崎の碑は、視点が驚くほど似ています。靖国に祀られない女性たちを哀れに思い、顕彰しようというもの。
女性たちにはあなたに称えられたり祭られたりする存在でしたか?
こういう加害者感覚のない良心が、日韓「合意」を許し、朴裕河を持ち上げる感覚につながっているのだと思います。
私たちに必要なのは、このような碑ではありません。ソウル大使館前にある平和の碑(少女像)のような碑が必要なのです。
今の時代は、野崎の碑が建てられたのは時代よりも身体性を喪い、言葉も軽くなり、最悪の状況です。そんな社会の中にあっても、私たちは平和の碑(少女像)を求めたいと思います。
(だい)
関連記事
スポンサーサイト

プロフィール

日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク

Author:日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
わたしたちは日本軍「慰安婦」問題解決のため、関西を中心に活動しています。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カウンター

検索フォーム

QRコード

QR