琉球放送『 Born Again~画家 正子・R・サマーズの人生~』 

琉球放送『 Born Again~画家 正子・R・サマーズの人生~』 を観ました。

正子・R・サマーズさんは沖縄に生まれ、戦後米軍人と結婚してアリゾナに渡り、後半生を画家として暮らしました。昨年9月に亡くなられたのですが、その人生を手記にしたためたため、注目を集めました。その波乱の人生には本当に驚かされました。

正子さんは4歳で遊郭に売られ、戦争が終わるまでジュリとして生きました。小さい頃から芸事を身につけ、年頃になってからは売春の仕事に従事するようになります。沖縄戦前夜、日本軍が中国戦線からたくさん送り込まれてくると、沖縄のジュリたちは「慰安婦」として日本軍の中に組み込まれていきました。正子さんは多くの兵士の相手をするようなことは免れたらしいのですが、正子さんの周囲のジュリは多くの兵士の相手をさせられることになり、「地獄のよう」と正子さんはおっしゃっていました。一時は沖縄の32軍司令部壕にもいたそうです。

沖縄の遊郭制度は日本の遊郭制度とはまた違い、女性だけの社会です。廊主を「オンマー(お母さん)」と呼び、擬似的な親子関係の中で形成されています。それでも奴隷制度であることは変わりありません。

わたしがとても印象的だった番組の中のエピソードは、戦後、米軍の保養ビーチで働いている正子さんのところにオンマーが来て、「まだ借金が残っている」と那覇の遊郭に戻ることを強要したことでした。正子さんは米軍の施設で一生懸命お金をため前借金を返済するのですが、結局自分が元ジュリであり人々から差別されていることがとても苦しかったと証言されていました。そしてそれが米軍人と結婚してアメリカに渡ることを選択する大きな原因となったようでした。

「性奴隷ではなく売春婦だった」というのは、「慰安婦」問題を否定する言説としてよく語られます。正子さんの証言の中ではジュリが「慰安婦」制度に組み込まれてとても過酷な状況に追い込まれたということが語られましたが、しかし彼女が生まれ育てた地から逃げ出す動機となったのは、彼女がジュリであったという過去から逃れるためでした。「売春婦だったから問題ない」という言説は、正子さんのような当事者にとってどれほどひどい、心を傷つける言葉であるか。

そもそも「性奴隷ではなく売春婦だった」という否定派のスローガン自体が矛盾です。正子さんのように貧困の中で売られ、前借金で縛り付けられ売春を強制されることは、性奴隷制度そのものです。

番組を観て、現実にその歴史を生きてきた人が証言をしているということに、本当に心が震えました。そして一人ひとりの苦しみにしっかりと向き合うことからまずは始めなければならないと、あらためて心に刻みました。

多くの人にこの番組をみてもらい、まずは被害者と向き合うことの大切さを知ってほしい。日韓「合意」で「慰安婦」問題は日韓問題のような空気がありますが、そんなことはありません。アメリカに移り住んだ沖縄の被害者がいたということをもっともっと広めたいです。

(参考)

沖縄タイムス記事

プロデューサー原良和さんのフェイスブック

(だい)

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