日本政府は被害者に対して「赦しを請う」たか? ~「教育の国家支配に反対する2・11大阪集会」に参加して~

 本日、「日の丸・君が代」強制反対・不起立処分を撤回させる大阪ネットワークの主催による「教育の国家支配に反対する2・11大阪集会」が開催されました。

 メインスピーカーの三宅晶子さんのお話しは、ドイツと日本を比較することで、現在の日本の危うさを浮かび上がらせるような内容だったのですが、日本軍「慰安婦」問題の解決に取り組む私たちにとっても、とてもためになりました。

 ドイツのナチス独裁は、たった半年で実現したという内容に、私はとても驚きました。ヒトラー内閣が成立したのが1933年1月30日。2日後には国会を解散し総選挙を行いましたが、その総選挙でもナチス党の得票率は43.2%に過ぎませんでした。しかし当時最も先進的と言われたワイマール憲法の下でアーリア人条項を設置し、全権委任法を成立させ、労働組合をつぶして焚書を行い、7月24には新党設立を禁止し、ナチス独裁が成立したのです。
 当時を暮らしていた人が、この半年の間に社会がここまで変化していることに気がついていたとは思えません。43%の支持で独裁が合法的に実現し、ユダヤ人などが合法的に殺されるような社会が実現するという恐ろしさ。
 ナチス党の綱領が「積極的キリスト教」であったというのは、笑うに笑えません。「積極的」という言葉を冠するだけで本来の精神を真反対に逆転させてしまうのですから。

 戦後のドイツにも、歴史認識が問われた時期があったそうです。
 1985年5月5日にはコール首相とレーガン大統領が、ナチス親衛隊も埋葬されているビットブルグ軍人墓地を訪問し、国内外から抗議を受けるという事件がありました。(中曽根首相と全閣僚が靖国を公式参拝した年です。)これを受けるような形で、ヴァイツゼッカー大統領が、あの有名な演説を行うことになったのです。
 「若い人たちの中に。当時起こったことに対する責任はありません。しかし、その後の歴史の中で、そこから生じてきたことに対しては責任があります。」
 90年代からドイツの戦争責任に関するさまざまな和解が実現し、1994年、ワルシャワ蜂起50周年記念式典でヘルツォーク大統領はこう演説しました。
 「今日私はワルシャワ蜂起の闘志の方々とポーランドのすべての戦没者の前に頭を垂れます。私はドイツ人によってその方々になされたことに対する赦しを請います。」

 日本では普通「謝罪」という言葉を使います。河野談話では「心からお詫びと反省の気持ち」という言葉を用い、村山談話でも「心からのお詫びの気持ちを表明」と言っています。これが日本語で言うところの「謝罪」であるのならば、「謝罪」とはなんと一方的な発信なのでしょうか? 被害者の気持ちや反応を無視していると思わざるを得ないのは、私だけでしょうか?
 「赦しを請う」という言葉には、被害者に「許して欲しい」という切実な願いが感じ取れます。私たちの政府は未だかつて一度でもこのような気持ちを込めて「謝罪」したことがあったでしょうか?

 ユダヤ人虐殺の事実を記憶にとどめ継承するための施設が、ベルリンにはたくさんあり、三宅さんはたくさんその映像を紹介してくれました。とても市民感覚にあふれた素敵なものばかりでした。
 日本にはそのような施設はありません。ピースおおさかにいたっては、今、加害の歴史を抹殺した「西の遊就館」に作り替えられようとしています。
 日本とドイツの加害のとらえ方を知って、この違いはなんなのだろうを考えざるを得ませんでした。そして今の日本が、半年後に「独裁」が実現してもおかしくない社会なのだと気づかされて愕然とさせられました。


 集会は、「日の丸・君が代」不起立者へのエールに溢れていました。 私たち関西ネットも、橋下市長の辞任を求め、籾井NHK会長、百田、長谷川経営委員の辞任を求めて抗議運動を続けて闘っていくことをアピールしました。
 集会後はデモ行進で街ゆく人々に元気よくアピールしました。とても寒い日でしたが、今日が「独裁」の半年前であるならば、やはり黙ってはいられません。(だい)
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