2016/05/17
韓国挺対協より訃報が届きました。同時に2通も。
お一人はイ・スダンハルモニです。写真家の安世鴻さんが撮られている写真が印象的で、ご記憶の方も多いと思います。
もうお一人はコン・ジョミョプハルモ二。97歳だったそうです。
イ・スダンハルモニは中国大陸で「見つかり」ましたが、同じように中国大陸や東南アジアで置き去りにされ、歴史に埋もれた被害者は、もっともっと多かったであろうことを想起すると、心穏やかではられません。日本政府が「最終的不可逆的に解決した」などと言って喜んでいる今の情勢下にあっては、なおさらのことです。
安倍政権が被害者の尊厳を傷つけている限り、これは過去の問題ではありません。
明日から、韓国ソウルでアジア連帯会議が開催されます。解決のための糸口を世界中の被害者・支援者と話し合い、今日本で何が必要かを確認してきたいと思います。(だい)
皆さま
もうひとりの日本軍「慰安婦」被害者が亡くなられました。
中国に暮らしていたイ・スダンハルモニが
17日午後に他界されました。
1921年に平安南道で生まれたハルモニは
19歳のときに満州にある工場へ行けばお金を稼げるとの言葉にだまされ
中国黒竜江省に連行されました。
思いもしないところに連行されて刀をもった日本軍の姿を見て
とても恐ろしく逃げようとしましたが捕まりひどい目にあわされ
慰安所でつらい生活を送りました。
戦争が終わり故郷に帰りたくて何度も手紙を送りましたが
結局故郷には帰れず中国で暮らしました。
母国語をすべて忘れてしまい
ハルモニの胸の奥に埋まった無念を母国語で表現できないことを悔しがっていたと聞いています。
幼いころに他国につれていかれ最期まで故郷の地を踏めず亡くなったイ・スダンハルモニ。
これからはすべて忘れ安らかに眠ってください。
ハルモニの冥福をお祈りします。
皆さま
全羅南道海南に暮らしていたコン・ジョミョプハルモ二が今日(5/19)午後5時10分に亡くなられました。
ハルモニは1920年に全南務安で生まれ
16歳(1935年)のときに職業を紹介してやるとの言葉につれられ
上海、ハルピンなどで24歳を迎える1943年ごろまで
日本軍「慰安婦」として惨く苦痛の人生を送りました。
1945年に海南にもどり
47年に結婚しましたが夫は8年後に他界し
夫との間に生まれた息子を一人で育てました。
ハルモニは2002年から挺対協活動に参加しはじめ
金剛山人権キャンプや済州島人権キャンプなどに参加し
「こんな世界もあったんだね」と子どものように喜ばれました。
長い間の農作業によって腰が90度に曲がってしまった体で金剛山に登っていたハルモニの姿
済州4.3虐殺犠牲者の話を聞いてため息をついていたハルモニの姿が
今も目に浮かびます。
2年間の入院生活でも希望を忘れず
海南地域で日本軍「慰安婦」問題解決のため活動する[コン・ジョミョプハルモニとともにする海南ナビ]会員がたずねると
「何度会っても恋しくてまた会いたくなるよ」とうれしそうにされました。
そうやって人々の心をつかみ人情を分かち合いました。
2ヶ月前から病状が悪化し
長い闘病生活の末、ハルモニは97歳の人生を終えました。
ハルモニの逝く道が、差別のない、性暴力被害も戦争の恐怖もない世界であることを切に願います。