【追悼】キム・ギョンスンハルモニ

韓国からまた訃報が届きました。
これで44人。

あの欺瞞的な日韓「合意」後に、次々とハルモニたちが亡くなられていっているように感じるのは、私だけでしょうか?
本当であれば被害者にしっかりとした日本政府の謝罪と賠償を届けなければならないというのに、安倍首相・日本政府の口から出るのは
「朴槿恵大統領に電話でおわびを伝えた、これ以上謝罪する気はない。不可逆的に解決したのだから」
「10億円は賠償ではない」
とても、ハルモニたちに申し訳なくてたまりません。

私たちはどうすれば、ハルモニたちの悔しさに応えることができるでしょうか?
その問いを常に身に課しながら、日々を生きていきたいと思います。(だい)




キム・ギョンスンハルモニが2月20日に亡くなられました。
ハルモニは1992年に挺対協へ申告した後に活動をはじめ
2006年からは老衰で入退院や手術を繰り返して苦労されましたが
何とか耐え抜いてこられました。
看病人の介護で過ごすハルモニは
挺対協スタッフに会いたくなると電話をかけてきました。
「遊びにこないのかい?」との質問に「行きますよ」と応えると
「うれしいね」と寝たきりの生活でも喜びを忘れず暮らしてこられた方でした。
ところが、数日前に突然入院され、重患者室に移り
今日の午後12時にソウルアサン病院で亡くなられました。享年91歳でした。

ハルモニのご冥福をお祈りします。


※写真はハルモニ宅に訪問した青年ナビたちとの一枚です。photo_2016-02-20_22-56-16.jpg

【追悼】チェハルモニ

韓国挺対協より訃報が届きました。
これでご存命のハルモニは45人となりました。




日本軍「慰安婦」被害者チェハルモニが
2月15日20時29分に亡くなりました。

ハルモニは1926年に生まれ、困難な家庭状況のもと奉公に出て暮らしました。
16歳のときに日本の工場で働かせてやるとの就業詐欺にだまされ
約4年間日本軍性奴隷生活を強いられました。
母親に挨拶だけでもしたいと訴えましたが
代わりに伝えると無理やり連れ去られました。
解放後に船に乗って故郷へ帰りました。

貧困と性奴隷生活で生じた病気によって苦痛の生活を送りました。
昨年から全身に強烈な痛みを感じながらも耐え続け
最近入院した療養病院で息をひきとられました。


ハルモニが重い荷を降ろし
安らかに休めるよう冥福をお祈りください。

日本軍「慰安婦」被害者は45人となりました。

韓国挺身隊問題対策協議会

【追悼】陳桃さん

 1月11日午後9時頃、台湾の日本軍「慰安婦」被害者の陳桃さんが亡くなりました。
陳桃さんは1922年生れ。93歳でした。
陳桃さんは、アンダマンにつれていかれ、そこで元日本軍の「慰安婦」にされました。
アンダマンでは自殺未遂をするなど辛い日々を生き延びて、台湾にようやく帰ってからも生きて行くための職を求めて台湾を転々とするような暮しでした。
1999年、東京地裁に提訴した裁判の9人の原告の一人です。
陳桃さんは何度も来日され、証言をして、「私は金はいらない、日本の国が謝ってくれれば私は許すよ」と訴え続けてこれられました。
年末に日韓外相会談での「合意」があり、1月5日には台湾政府は日本政府に対して、被害者への正式な謝罪、賠償、尊厳と名誉の回復、生活支援の4項目を求めましたが、日本政府は「交渉する気はない」とあっさり無視しました。これは日韓「合意」が口だけの謝罪であり、日本軍「慰安婦」被害者に対してなんにも悪いことはしていないという認識の表れとしか判断できません。
そしてその6日後に陳桃さんは逝ってしまわれました。
どれほど無念だったことか!
お金ではなく謝罪、名誉回復を求めているということを、私たちは日本政府に分からせることができないままこの日を迎えてしまったということが、本当に申し訳なく思っています。
ごめんなさい、陳桃アマ。
そして、ありがとうございました、アマ。
被害者が亡くなっても、日本政府に「悪いことをした」を理解させる日まで、闘いを諦めません。それがこれまで闘ってこられた陳桃さんの無念に応える、ただひとつの方法だからです。
合掌。

(だい)

2012-12-08-11,アジア連帯会議in台湾 376 
(写真は2012年に台湾で開催されたのアジア連帯会議でのお姿です。)

【追悼】チェ・ガプスンハルモニ

挺対協からまたしても訃報が届きました。
日本の人にもなじみのある、カプスンハルモニです。
「ハルモニたちの時間は刻一刻と過ぎていきます。日本政府は一日も早く公式謝罪し法的賠償することで、苦痛を受けているハルモニの心を少しでも軽くしなければなりません。」
全くその通りです。
今生きているハルモニのためにも、そして無念のうちに亡くなったハルモニのためにも。諦めるわけにはいきません。(だい)




皆さま

日本軍「慰安婦」被害者チェ・ガプスンハルモニが
12月5日午前0時56分に亡くなられました。

ハルモニは
1919年に全羅南道クレで生まれました。
15歳のときに日本の巡査が父親を捕まえにきましたが
8人家族で父親が連れていかれれば生計が成り立たないと
変わりに長女のハルモニが連れていかれることになりました。
全州を経て満州の牡丹江まで連行され
日本兵だけがいる部隊で慰安婦生活を強いられました。
部隊が移動するたびにあちこち連れて行かれ
8月15日に解放を迎えた後
3~4年間さまよったあげく
歩いて故郷のクレにたどりつきました。

ハルモニは長い間老衰で病院に寝たきりでした。
「罪を犯さず生きなければならない」と言われていましたが
罪を犯した人々から謝罪も受けられずあの世に逝かれてしまいました。
ハルモニ、つらかったことは忘れあの世で安らかにお眠りください。

日本軍「慰安婦」生存者は46人となりました。
ハルモニたちの時間は刻一刻と過ぎていきます。
日本政府は一日も早く公式謝罪し法的賠償することで
苦痛を受けているハルモニの心を少しでも軽くしなければなりません。

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【追悼】張先兎さん

山西省・明らかにする会より訃報が入りました。

今、日本政府と韓国政府との間で「慰安婦」問題が、政治的な懸案となっています。日本政府は日本軍「慰安婦」問題を勘違いしているとしか思えません。

日本軍「慰安婦」被害者は、韓国にだけいるのではありません。日本は張先兎さんのような被害者が、中国大陸にたくさんおられるということを、意図的に忘れています。

私たちは張先兎さんの死に、日本軍「慰安婦」問題を日韓関係に矮小化させることなく、問題解決を訴え続けることを誓います。(だい)




中国山西省盂県在住の張先兎さんが11月12日に亡くなられました。

張先兎さんは、1926年生まれ、享年89歳でした。
山西省盂県で日本軍より過酷な性暴力被害を被り、日本政府を訴えて裁判を起こした原告(三つの裁判で原告は16名)の最後の生存者でした。
本年8月の現地訪問でお見舞いに伺ったのが最後となりました。肺気腫の持病があり、夏はいつも呼吸が苦しい張先兎さんでしたが、今夏は特に苦しそうで心配されました。
盂県の病院は入院には付き添いが必要なため、大娘は入院を拒み自宅で療養されていました。
2年前に長男に先立たれた後はすっかり気力を無くされ、お会いする度に「私よりも先に息子が亡くなったことが辛い」といつも涙を流されていました。
纏足を施された小さな張先兎さん、日本軍による被害によって翻弄された辛い人生、それでも生き抜いて闘ってこられた強さに、私たちは訪中する度励まされてきました。
私たちが支援してきた原告の被害女性は全員が亡くなりました。私たちは、解決を願いながら亡くなった大娘たちの無念の気持ちを胸に、遺志を受け継いでいきたいと思います。

<張先兎さんの被害>
1941年の旧正月、山西省盂県西煙鎮を急襲した日本軍に捕まり、河東村の日本軍拠点に連行され監禁された。当時、張先兎さんは新婚で、年下の夫とは夫婦関係もなかった。纏足のために歩けない張先兎さんは担がれて山上の拠点に連行され、連日性暴力を受けた。

【追悼】パク・ユニョンハルモニ

皆さま

アメリカで暮らしていた日本軍「慰安婦」被害者であるパク・ユニョンハルモニが
8月8日明け方(現地時間7日午前)に息子さん宅で亡くなられました。

ハルモニは京畿道パジュに暮らしていましたが
アメリカにいる息子さんの家に引っ越ししてから10余年が経ちます。
この間重病をかかえ長期入院し
息子さんの家で最後の2週間を過ごしたのち
息を引き取られました。
現地時間の12日午前にアメリカの地で埋葬されます。

ハルモニが亡くなられ生存者は47人になりました。

解放70年を目前にしてもまだ解放を迎えることができないハルモニが
あの世ででも苦痛なく笑えるよう
残された私たちがすべきことは多いでしょう。

ハルモニのご冥福をお祈りします。

韓国挺身隊問題対策協議会

【追悼】チェ・グムソンハルモニ

このところ、本当に立て続けに被害者がなくなっておられます。これで韓国で生存されている被害者は48人。
私たちも、日々の闘いが急かされているのだと実感します。
1日でも早く、今すぐにでも、「慰安婦」問題の解決を!(だい)




皆さま

またひとりの日本軍「慰安婦」被害者が亡くなられました。
7月5日夜11時20分にチェ・グムソンハルモニが他界されました。

1925年11月に生まれたチェ・グムソンハルモニは
老いによる病で2007年から老人専門病院に長期入院しつらい闘病生活を送りました。
そのまま病院にて昨夜息をひきとられました。
ハルモニが苦痛のない安らかなところへいけるよう願います。

今年に入ってすでに7人のハルモニが亡くなり
日本軍「慰安婦」生存者は48人になりました。
ハルモニがひとりでも多く生きているうちに
謝罪を受け心の苦痛をとりのぞくことができるよう
一日も早く問題が解決しなければなりません。

チェ・グムソンハルモニの冥福を祈ります。



韓国挺身隊問題対策協議会

【追悼】キム・ヨニハルモニ

みなさま

韓国挺対協より、つい先ほどハルモニが亡くなられたとの報が届きました。

キム・ヨニハルモニはその経歴によると、わずか12歳で勤労挺身隊として日本に連れてこられ、働かされた上、
慰安婦にさせられたとのことです。
精神を病むほどの過酷な体験によって、戦後も言葉に言い尽くせない苦難の人生を送られたようです。

立て続けの訃報に言葉もありませんが、家族や支援者の人々の衝撃と悲しみはどれほどでしょうか。

ご冥福を祈るとともに、一日も早くすべての被害者の尊厳の回復がなされるよう、私たちにできる行動していきましょう。

(P)

************

皆さま

日本軍「慰安婦」被害者であるキム・ヨニハルモニが
6月24日夜10時ごろに亡くなられました。

キム・ヨニハルモニの証言による被害状況は以下のとおりです。

1932年にテグで生まれ5歳でソウルに引越。
ソウルの国民学校(小学校)5年生在学中の1944年に
日本人校長によって日本に送られました。
父が独立運動をして中国に行ったことが不利になり送られたとのことです。

ハルモニは下関を経て富山県の飛行場付属工場で約9ヶ月働かされた後
青森県の慰安所に連行され
そこで7ヶ月間慰安婦生活を強いられました。

解放を迎え船に乗ってソウルにもどってからは
慰安所での記憶の後遺症により精神病院で治療を受けました。
その後ハルモニは結婚せずに家政婦で生計を立て暮らしました。

キム・ヨニハルモニが亡くなり
日本軍「慰安婦」生存者は49人になりました。
6月だけですでに3人がこの世を去られました。
本当に時間がないと実感します。
一日も早くハルモニたちが苦痛をふりはらい余生を安らかに過ごせるよう
日本軍「慰安婦」問題解決に多くの関心と連帯をお願いします。

韓国挺身隊問題対策協議会

【追悼】キム・ウェハンハルモニ/キム・ダルソン

6月11日、ふたりのハルモニが亡くなられました。韓国挺対協からの訃報をおしらせします。






6月11日午後8時40分、日本軍「慰安婦」被害者キム・ウェハンハルモニが亡くなられました。

慶北安東で生まれたハルモニは
1943年に工場へ就職すると思いついていったところ
北海道で「慰安婦」生活を強いられました。
1945年に解放を迎え故郷に帰るため
山に入って木の実を食べて生きながらえ
やっとの思いで故郷の安東にもどりました。

*****

キム・ウェハンハルモニの後を追うように
キム・ダルソンハルモニが6月11日夜9時すぎに亡くなられました。

キム・ダルソンハルモニは
1925年に慶北浦項で3男3女の長女として生まれました。
1943年に母について市場で物売りをしているときに
道で日本の警察につかまりビルマへ連行されました。
帰国まで日本軍の性奴隷生活を強要されました。
1944年ビルマで2度にわたり子宮の手術をするなど体調を壊し
1945年の解放後、最後の船に乗ってプサンにもどってきましたが
体調が悪く2年間は故郷に帰ることができませんでした。
1947年に故郷へもどりようやく両親に会うことができました。

その後、魚や野菜、米の行商をしながら暮らし
1996年に挺対協を通じて被害者申告をしました。

2001年に大邱へ引っ越し
挺身隊ハルモニとともにする市民の会に出会い
大邱地域被害者と一緒に活動しました。
長い入院生活の末
最近になって唯一の親族である14歳下の妹さんが暮らす浦項の療養病院に移りましたが
11日の夜、この世を去られました。

ハルモニが安らかに眠られるよう冥福をお祈りください。

2名の被害者が亡くなり、日本軍「慰安婦」生存者は50名になりました。
今年に入ってすでに5名の被害者が亡くなられています。

一日でも早く日本軍「慰安婦」問題が解決され
ハルモニたちの胸に平和がおとずれるよう
今後の活動に力をいれていきます。

*****

ハルモニの葬儀に行ってきた報告です。

キム・ウェハンハルモニとの最後のあいさつにいってきました。
MERSのせいで高速道路も安東市内も葬儀場も閑散としていました。
家族の方々とハルモニの極楽浄土を願う追悼法会を行い、ハルモニからの最後の食事もいただきました。
ハルモニは明日のお葬式の後、安東公園墓地に眠られます。のちには夫とともに眠ることになる夫婦安置墓地だそうです。
ハルモニの逝く道が安らかであるよう、すべての無念を置いて平安に眠られるよう願います。

続いてキム・ダルソンハルモニを送りに浦項へ向いました。
長い間療養病院で寝たきりだったハルモニが永眠されました。
イ・ヨンスハルモニもお別れのあいさつをするため大邱から来られ、キム・ダルソンハルモニの親族の方々は悲しみをわけあっていました。
キム・ウェハンハルモニと同じ日に亡くなられたので、最後の道も並んで互いに寄り添いながら逝かれればと思いました。
ハルモニは慶州公園墓地に眠られます。ハルモニが無念も痛みもない安らかな眠りにつかれるよう切に望みます。

ご冥福をお祈りください。

韓国挺身隊問題対策協議会

【追悼】イ・ヒョスンハルモニ逝去

韓国挺対協より、訃報が届きました。
安倍政権の歴史認識を問い、戦争への道を歩ませないことによって、亡くなられたハルモニの無念に報いたいと思います。(だい)


皆さま
24日に第13回アジア連帯会議を成功裏に終え
日本政府に法的責任をただし
今年こそ日本軍「慰安婦」問題解決をむかえることができるよう
スタートをきった矢先に
またひとりの被害者の訃報をお伝えすることになりました。

5月27日午後7時50分にイ・ヒョスンハルモニが享年91歳で亡くなられました。
1925年慶南ウィリョン郡で生まれたハルモニは
17歳ごろ突然家に入ってきた日本兵2人に連行されました。
釜山・日本を経て台湾・中国・シンガポール・ベトナムで約3年間日本軍「慰安婦」生活を強いられ
言うことを聞かないと拷問をうけるなどの苦痛を被りました。
解放後、釜山を経て馬山へもどりましたが
家に帰ることはできず
母が亡くなったという知らせにも家には帰ることができませんでした。

イ・ヒョスンハルモニが亡くなり
日本軍「慰安婦」生存者は52名になりました。
ハルモニが逝く道が寂しくないよう冥福をお祈りください。
一日も早く日本軍「慰安婦」問題が解決され
ハルモニが少しでも安らかに眠ることができるよう願います。

プロフィール

日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク

Author:日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
わたしたちは日本軍「慰安婦」問題解決のため、関西を中心に活動しています。

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